三号雑誌 ~文学ワークショップ初級編はじめての文学

 3号雑誌という言葉がある。
 それはたった3号を発刊しただけで廃刊に終わる短命の雑誌を揶揄する表現でもあるし、またそれほどに雑誌の継続発刊は困難だという事情を強調するときにも用いる言葉だ。もともとは終戦直後のカストリ雑誌が3号目にGHQの検閲で廃刊を迫られることが多かったことに由来するとも言われる。同人雑誌など基盤の危ういミニコミ誌にとってはまず三号発刊が今後の行方にとってひとつの分水嶺となる区切りなのである。
 「文芸エム」は今春第3号を発行した。これまでの寄稿者は16人。古い友人も2人あるが、他は文学フリマや文学ワークショップ等を通じて出会い作品を寄せていただいたものだ。彼や彼女らは20代から60代で、地域やそれぞれ生活環境も大きく異なる。また手掛けている創作ジャンルやその傾向も様々だ。しかしそれぞれ皆が書くことにとても誠実に向き合っておられ、その真摯な姿勢には敬服している。得難い出会いをいただいたと、編集部にとって誇りですらある。
 もちろんこれから先、書くことから遠ざかる方もあるだろう。それが一時的なものにとどまるか、はたまた数10年にも及ぶか、それはわからない。しかし生きてゆくことと書くことが絡み合いながら生きる時間を送ってゆくことになるのではないか。ならばそれは悔いのない書き手の歩みだ。書かない者には知りえない、そこには書く者の桎梏や誇りがあるから、私は掛け値なしに彼らをリスペクトするし、「私たち」と呼びたくもなるのである。
 5月23日、文学ワークショップ初級編を開催する。これは書くという確かな醍醐味へ一人でも多くの方に足を踏み出していただきたいという趣旨の企画だ。楽しみである。もちろん果たして自分が初心者にあたるのか判断に困る方もあるだろうが、プログラムが初心者を想定したものとなっているというだけで、参加者を限定しているわけではない。創作の経験者であっても意欲があれば得るものはあるだろうし、中級編へ参加する敷居がぐっと低くなるだろう。ともかく歓迎である。そもそもファシリテイターである私自身がそれほどシェアできるものを持ち合わせているか覚束ない。書いたように、参加者が書くという営みに踏み出すその一歩に、同伴させていただきたいのだ。
 そして自分自身の手で作品を形にすることができたら、ぜひそれを「発表」するというフェーズに進みたい方もあらわれるだろう。これはSNSでイイネを集めて承認欲求を満たすのとは決定的に次元を異にする。なにしろ「作品」なのだから。その醍醐味をぜひ味わってほしい。「文芸エム」はそのために用意されてある。自分との対話の旅の始まりだ。
 いずれにしても、気楽に参加いただきたい。なにしろ参加費は無料だ。損はない。そして我々文芸エム編集部としては、市井に隠れた作家や詩人、エッセイストやライターの登場を心待ちにしている。そしてこれが「文芸エム」の滅であり変わらぬ存在意義だ。「文学をしてそのいのちにふさわしく、市井で働かしめよ」。魂の文学なのである。
 まだ3号を超えたばかりだ。しぶとく継続したいものである。さて第10号、そして20号にはどんな名が連なっているだろう。とことん楽しみである。