浅田彰氏による西洋哲学史連続講座2「デカルトから再出発する」(2025.5.24 NHK文化センター京都)
前回はその頃注目されていた教皇選挙にまつわる様々な映画、建築、絵画、その展覧会など話題を自在に転じ、さらにはトランプの教皇コスプレAI画像であるとか、話は連綿とコラージュ的につなげられ、最後選挙の会場であるシスティナ礼拝堂のミケランジェロによる天地創造、三位一体の絵画についての説話から転じて同じバチカン宮殿署名の間の壁画ラファエロ「アテナイの学堂」が示され、その中央に描かれたプラトンとアリストテレスが焦点化され、そのポーズが象徴する2人の哲学から当日のテーマである古代ギリシャ哲学へと話は雪崩れ込んでいった。その鮮やかな伏線回収、或いは謎かけの仕掛けにはさても痛快な想いがした。
そう言えば、「中上健次と大江健三郎」をテーマに掲げた昨年の熊野大学では、川本直の「中上健次をクィアリーディングする」と題する刺激的なビデオ講演を受けて浅田彰氏によるシンポとなったのだが、やがて講演は北川民次と絡めた藤田嗣治その人の生涯にわたる話となって行った。藤田嗣治のクィアぶりはよくわかったのだが、なぜ藤田嗣治なのか実のところ私にはさっぱりわからなかった。唐突な印象が強く、だから話はちょっとした「脱線」(にしてはかなりの時間が割かれていたのだが)なのだろうとそのときは受け止めていた。ともかく、浅田氏の話は実に小気味よく痛快で面白く聞いた。
その後に刊行された「新潮」の熊野大学特集号では「近代体操」の松田樹+森脇透青が「熊野大学の浅田彰」という副題のレポで、浅田彰は藤田嗣治の生きた変幻な有りようを提示することで、変態(メタモルフォーゼ)し続ける変態(クィア)というアイデンティティの可変性をアジったのだと解している。そしてそこにこそ中上健次の嗜好、志向があると言わんばかりに、「こういう話をしたら、中上健次はきっと面白がったはず」と浅田が言い添えた言葉を引用している。
そうかもしれない。
しかしそうした明解な意図で藤田嗣治を持ち出し延々言及するのならば、より分かりやすく語ったのではないだろうか。つまり、なぜその連関がその場では明瞭に語られなかったのかというところに関心が惹かれるのである。
あくまでも、「《中上健次と大江健三郎》で、なぜ《藤田嗣治》なのか?」という問いは、「あとは自分で考えてね」と言わんばかりに明瞭な解答は明かされずに聴衆に投げかけられたままであった。つまり、そうした「ずらし方」自体を浅田彰は楽しんでいるのかもしれないし、あえてその謎かけによる「わからなさ」自体に浅田彰のちょっとした狙いが潜んでいるようにも思う。
一見位相の異なる話題を横滑りするようにして接合することに生じる戸惑いこそが、ポストモダン以前の脳と心性そのもの証なのだと私が改めて落胆しなければならないだけなのかもしれないが。
前振りの所以をすっきりと明かした前回の講義と、むしろ敢えてはぐらかしたかにも見える熊野大学。そして、今回の導入は地域アートである。冒頭、瀬戸内の小島である豊島と直島に注目して、福武ベネッセ親子の文化支援の有り様と経緯が縷々述べられる。とりわけ柄谷行人と共同編集した批評空間の版元として個人的な謝意と恨みごとの両方を交えつつ、まさに芳醇な知的情報がふんだんに大変な速度で降り注がれる。私はまたこの話が前回の講義同様、ジグソーパズルのピースがはまる爽快さでカント哲学に話がつながるのをひそかに期待したが、特別鍵が開錠されるような接合の仕組みはなかった。と思う。ただ、前回の復習から入ったので、それまでスクリーンに表示されていた瀬戸内の島々から地中海の島々へのマップが重なって見えたくらいだった。これはただその連関を探知できなかった自分のボンクラぶりなのかもわからない。或いは、前回ぱちりとピースが当てはまり、本論が開錠されたが、むしろそれこそがベタであって、ちょっと唐突さで煙に巻くこうした「ずらし方」自体が、意図そのものであるのかもしれない。
講義のレジュメには「デカルトを再発見する」と表題が記されていた。今回もその講義内容については触れない。理由はその理解にまったく自信がないだけなのだが。
一点だけ。
カントがスェデンボルグと深い親交があったことは知られているが、講義ではデカルトがオラトリオ会、パスカルがヤンセン派、ニュートンがユニテリアニズム、そしてライプニッツが薔薇十字団と関係があった(属していた?)ことに言及があった。それは彼らの一面を知ると同時に、異端や改革なるものを知ることでもある。現代の日本で社会通念として理解されている「宗教」という概念と17世紀宗教戦争の時代欧州におけるそれとは当然にまったく異なるし、ただその超越的な神格、言わば大いなるものへの希求に伴う誠実性を自分はどう思い考え行動するか、という問いが残るだけである。
講義の終了後に質疑応答の時間が設けられた。それぞれまるで学生に語りかけるようバランスをとりながら率直に応答される言葉を浴びるのは至福の時間だった。ひとつ、自分の自由な主観的判断を吟味して普遍的に説明することは日常の中で言わば楽しんでトレーニングできそうな気がした。そしてなにより、実は小林秀雄を自分は読んでいないことをさらに恥じた。十代のとき「教祖の文学」を読んで、安吾節の噛ませ犬然とした小林秀雄の描かれ方で印象を決めつけてしまったのだ。「ランボオ」読まねばならない。