私は誰か?
その問いをおろそかにするといつの間にか、所属であったり、肩書きであったり、出身であったり、つまり時代や国地域、血筋で自分に確かさを感じるという倒錯に陥る。
私は誰か?
私は私という魂である。
魂を忘れた魂である。
日本に××××年に生まれ◯◯◯◯という名前をつけられ、このような肉体を使用している一個の魂である。
魂である前に日本人であるとか、
魂である前に◯◯の社員であるとか、
魂である前に××の家族であるとか、
魂である前に△△主義者であるとか、
常軌を逸している。