劇団パトスパック「永遠ノ矢=トワノアイ」2019

 もちろん文学は道徳や倫理すらも俎上に載せる地平から立ち昇るものだ。だから本来タブーもない。文学はそれゆえに私たちの日常を見えないまま支配している「前提」を対象化させその安寧を突き動かす。前提による安心に執着する精神にとって、それは不快でありまた反感をも呼び起こす。前提から引き剥がされることは恐怖であり、そのような仕業は狂気の沙汰と見えるのだ。それほどに前提の危機に恐れおののく。
 その前提の矩を越えず、心地よいだけのものであれば、芸術ではなくそれは「娯楽」である。ただ人の求めるものを提供する、消費されるための作品にすぎない。
 文学はだから他の芸術と同様、そもそもが違和を与える「不快」なものである。それほどに、人は問わず尋ねず、見ること聞くこと知ることを嫌う。深淵を覗き、至高を仰ぐことを頑なに拒絶している。
 文学を歩む者がまず最初に「闇」を書く試練をくぐらねばならない所以がここにある。そして生涯をかけて、全き光を渇望する歩みを遂げる覚悟だけは確かめたいのである。
 
 劇団パトスパックの「永遠ノ矢=トワノアイ」を観た。アイヌ民族の強いられた辛酸を正面から取り上げた舞台だ。脚本演出は母親が著名なアイヌ解放運動家である宇梶剛士。ただ訴える手法ではなく、現実を提示して「~とは?」と「自分で考える」ことを促して託す。日本人に連れ去られた少女が性奴隷とされたあと深刻な性病に罹患して故郷に帰る場面がある。日本民族が犯した同じく朝鮮民族に対する残虐な加害を想起する。私は鹿児島出身だ。奄美群島から琉球を搾取と収奪で武力支配した薩摩の末裔である。
 取り返しのつかない加害の事実を背負って生きるということ。
 ようやく小説を書き上げた。五〇枚の短編だから実際にキーボードに向かったのは二週間にすぎないが、ひと月以上その物語を思い続けていた。


▲ 出演された菅川裕子さん(バッカスカッパ)杉本凌士さん(メンソウル)と。