近江天保一揆

近江天保一揆について調べ始めている。きっかけは道で偶然見かけた「天保義民碑」。義民とあるから一揆関連のことと推察はしたが、恥ずかしながら近江天保一揆のことは知らなかった。
一揆というとやはりステレオタイプな印象がつい先立つ。圧政に困窮する哀れな農民と非道な搾取で抑圧する傲岸な武士階級という構図だ。確かにそれが間違いではないにしても、生き生きとした一人一人の生々しい個性を消して、ぼんやりとした集合体に人間を埋没させてしまうなら、一旦は先入観をまっさらにして事績をたどってみたい。
面白いと思う。
近江一揆は横暴な検地を中止させるという画期的な勝利を勝ち取るが、その後に苛烈な弾圧を受け徹底的に蜂起農民は叩き潰されている。束の間の英雄的凱歌から、一転これ以上ない殲滅的な敗北に突き落とされるのだ。それは歴史の中の抗いがたどるひとつの典型的な推移だ。幾たび、その辛酸をなめてきたことだろう。勝利は永遠に来ないのだと敗北主義の虚無に転落し、二度と立ち上がれない。永遠に続く強靭な同志的連帯と見えていたのに、追い詰められ露呈する醜悪な保身のために横行する裏切りと不信。そこにあらわれるのは、きわめて人間的すぎる愚かさであり弱さである。それを声高に否定して強い正義を掲げるでもなく、また自己正当化のために人間一般の足を引っ張って分かった顔してそんなもんさと肯定するのでもなく、ただあらわれる人間模様をそのままに描き出したい欲望に駆られる。
書かねばならないものは、しばらくいくつも続く。だから当面は江戸期農民の暮らしの息遣いや体温にアクセスしながら注意深く構想の醸成にもって行きたい。