「プリズンサークル」を観て、どうしても言いたくなったこと

どうしても感想が書けない。
「プリズンサークル」観て一週間がたつ。
そうなんだけど、そうなんだけど、と思いが込み上げるが、言葉が止まってしまう。

数年前、京都刑務所に移転問題が起こった。
先日四選を果たした市長が選挙公約に刑務所移転を一行加えていたことから、それが市民の総意だと市長は言うのだ。移転の理由は、「広大な土地の有効活用」である。その土地は国有地であり市の采配下にはない。つまり刑務所にただ京都市から出て行ってくれと言っているだけで、市が代替地を用意できるわけもない。だから、「移転」問題という表現は正確ではない。むしろ京都市からの「排斥」問題だと言いたくなる。そしてその土地の「有効活用」とは、商業施設を建てるつもりらしいと囁かれている。その移転が、受刑者にとってはもちろん刑務所にとってもどうなのかという視点は一ミリもなかった。
市長の移転意向を後押ししている地元紙は市民にアンケートを行い、移転賛成が過半数を超えたと報じた。しかしである。地元の山科区では移転せず現状のままでよいとする意見の方が多数を占めたのである。京都の地理を知っている人ならよくわかるが、山科区は滋賀県大津市と接する京都市の南東部でひと山を越えた言わばはずれである。もちろん洛中から見れば「京都」ではない。山科の住民すら中心市街地へ出かけることを「京都へ行く」と言う。山科を京都と呼べば「京都人」は露骨に顔をしかめるか、例の皮肉っぽい慇懃さで不快を隠すのだ。山科区以外の京都市民にとってはまったく関係がない話と言ってよい。山科に刑務所があること自体知られていない印象もある。だからおそらくアンケートで移転に賛成した多くの京都市民は、それまでまったく関心もなかったのだがその話を聞き、「そら刑務所よりはイオンあった方がよろし」「そんなんできるだけ遠くにおってほしいわ」「近くにいんといてほしい」と思っただけではないかと私は思っている。
幕末史に登場する京都六角獄舎をルーツに持つ京都刑務所が山科に建てられたのは昭和二年である。当時はもちろん一面田畑の広がる田舎にすぎない。それからのち、時代を経ていつのまにか開発が進み、市街地の中の刑務所となってしまったのである。そして当の山科区市民が刑務所の移転に積極的でなかったのには理由がある。すでに刑務所がしっかり地域に根を下ろし溶け込んでいたからなのだ。
刑務所敷地内に官舎が並び、もちろん子供たちは地元の学校へ進み、刑務官である保護者らは自治会PTAなど積極的に地域活動に精出しているだけでなく、周辺地域の清掃などボランティアや地元祭りにも積極的に参加し、地元コミュニティを支えているのである。そもそも地元の市民が求めていない、広大な土地の商業施設への有効活用とはいったい何なのだろう。刑務所の運動会では塀の門が開き、競う受刑者を地元市民が応援し、地元保育園の子供たちが披露する遊戯ダンスは運動会には欠かせない歴代続く大切なプログラムだ。それが服役中の受刑者にどのような影響を与えてきたか容易に想像ができる。その保育園の子供たちがやがて母となり、年に一度の矯正展で施設を懐かしく見学などしたりするのである。
ここ二年ほどの状況は知らない。移転方針は既成事実となっているのだろう。悔しく、また憤りを感じる。
それは移転論議に、刑務所や受刑者の立場は一切考慮されていないことだ。受刑者、刑務所にとって、市街地にあることと地方僻地に移転することはどのようなメリットとデメリットがあるか。犯罪抑止、更生にどのような影響があるか。いっさい議論が聞こえなかった。「あの広大な土地を放っておくのはもったいない」などという。馬鹿にするなと言いたい。人知れずその高い塀の中では、日々一瞬たりとも気を抜けない切迫の時間が飽和しているのである。放っても、無駄にしているのでもない。そうした市民の「平穏」な日常を維持するために、どれほどの隠れた献身がそこに捧げられているか。
他人事なのだ。怒りを覚える。

犯罪とは何か。収容とは何か。犯罪者とはどういう人か。罪とはどういうことか。反省とは見た目あらわれのことなのか。更生とはどういうことか。生き直すとはどういうことか。変わるとはどういうことか。つぐないとは。そして被害者はなぜそういう目に遭わざる得なかったのか。なぜ私だったのか。なぜお前だったのか。人間とは、生きるとはどういうことか。その何千何万の魂賭けた叫びと呻きが悲痛な問いとしてつぶやかれ続けているのだ。そしてそれら血の涙を臆面もなく押し流し消し去ろうとする、野蛮で扇動的な無関心の力。

「プリズンサークル」の感想を書きたいが、まだ書けない。PFI島根あさひ受刑者のための教材を足かけ十年制作した。そして、その一環として小説執筆を依頼されたことをきっかけにその後は創作を続けている。だから思いが溢れ、映画そのものについては言葉もまとまらない。今はようやくこれだけ書ける。あとは時間をおきたい。