「50歳のソビエト」

「50歳のソビエト」これは1967年のNHK特集番組のタイトルだ。1917年ロシア革命から50年、だから50歳のソビエト。担任だった社会科教師がそう話してくれたのを覚えている。当時、小学校6年生。12歳のときだ。
昨年が2017年。すでにソ連は存在しないので「100歳のソビエト」という番組はありえないだろうが、ロシア革命100年という話題すらほとんど耳にしないまま過ぎた。
中国革命には憧れを抱いたが、ロシア革命にはあまり心惹かれなかった。Aスメドレーの長征ドキュメント「偉大なる道」は何度となく読んだが、10月革命を描いたJリードの「世界を震撼させた十日間」は一度きりしか読んでいない。学生時代政治学原論ゼミの友人らは中国革命と同様にロシア革命に憧れを抱いていた。どうしてロシア革命に惹かれないのか、自分でも疑問だった。浪人時代、ハンガリー動乱以下東欧の反ソ運動に強烈にシンパシーを抱いていた。レーニンという人物像に魅力は感じなかったし、ボルシェビキの手法は自然発生性に対する抑圧に思えた。中国についても、土地解放時の地主糾弾闘争には若干違和感を覚えたし、革命後の百家争鳴から反右派闘争への展開は酷すぎると嫌悪感を覚えたが、それでも凄まじい歴史のダイナミズムが地鳴りのように響き、中国革命に対する憧憬は消えなかった。
かなりあとに「戦艦ポチョムキン」や「十月」などエイゼンシュタインを観た。若いときに観ておれば、幾分かロシア革命の印象が中和されたかもしれない。中国革命の映画は知らない。プロパガンダでもよいから、中国革命を描いた映画を観てみたい。
しかし、エイゼンシュタインを出せば、ワイダのことを取り上げねばならない。やはり圧倒的だ。「地下水道」「灰とダイヤモンド」「大理石の男」比類ない名作だ。VHS時代のレンタルビデオショップでは必ず店頭に並んでいた。TSUTAYAにもGEOにも古いワイダのDVDはない。近頃無性に「地下水道」と「大理石の男」が観たい。ついでに言えば「パルチザン前史」や「三里塚」シリーズも観たくてならない。DVD買うしかないのかと思う。
それはともあれ、ロシア革命100年のこと。1991年クーデターの失敗からソ連解体への一連の展開はよく覚えている。ゴルバチョフがソビエト共産党の解党を宣言した。あの声明発表の映像は強い衝撃とともに記憶に残っている。一つの巨大な党、そして世界帝国というべき国家が崩壊するという姿をリアルタイムで目の当たりにした。しかし、今やその歴史的事実すら消えてしまっているように思える。これは政治思想的立場の問題ではなく、この国を覆っている歴史否定の巨大潮流のなせる業であると思う。彼らは、歴史を歪曲し改竄しているというよりも、歴史そのものの価値を否定している。凄まじい劣化と崩壊。このつけが人類、国家にどのように悲惨な不幸をもたらすか想像するだにぞっとするし、もはや絶望のほかない。
破局へ喜んで意気揚々と向かう姿。言葉がない。