寿命とのデッドヒート
全国同人雑誌協会の第一回全国同人誌優秀賞を私が主宰する「文芸エム」が受賞したと連絡があった。さらに新人賞の候補となり8月に選考会が行われるのだという。喜んでいた矢先、「文藝年鑑2021版」の冒頭同人雑誌の項に「文芸エム」とその主宰者として私が紹介され作品が高く評価されていた。「文藝年鑑」は文学界の一年を日本文芸家協会が総評するものだ。さらに朗報は続いた。電話があり「文芸エム」に掲載した私の評論を「文芸思潮」誌に転載したいとのことだった。これら二週間ほどのことだ。こうも立て続けにうれしい知らせが続くことはめったにない。昨年末、銀華文学賞を受賞したあとはほとんど「文芸エム」の活動に追われ、その連載長編を執筆する以外は編集やワークショップの運営や発送業務など雑事にかまけ、内心憔悴していたから、なおのことうれしかった。
しかしである。喜びにやけている場合ではない。
私は7年前にプロの著述家になると自分で立志した。それまで小説形式の刑務所教材テキストを書いたことがあるだけで、受賞歴はもちろん小説の書き方を学んだこともなかったのだから、それを聞いた人は内心「こいつ気は確かか」と苦笑ものだったろう。なにしろ、私はもう還暦目前だったからだ。しかし私は本気だった。本気以上だった。その心境をわかりやすく述べることは不可能だ。それは「夢」でも「願い」でもなかった。なにがなんでも死ぬまでに果たさねばならない、私にとってまさに任務と思われたからだ。誰に命じられたわけでもないが、それは決定的に絶対の義務であり、私が生まれてきた責任としか思われなかった。ようやく60歳手前になって、そして今さらのように突きつけられた宣告であり、私の人生の「結論」であった。それを言葉にしたものが「魂の文学」だ。やがて私は死ぬが、「魂の文学」がいつかひとつの文化的潮流として社会に立ち現れること。一切はそのためである。「魂の文学」運動。そのためなのである
それらは人から見れば私の異常な「思い込み」と映ることも承知している。しかし人からどう見えようとどうでもいいことだ。そんなことより「魂の文学」がこの世に立ち現れる、そのほんの端緒になりうるかどうかなのだ。粋がった言い方をすれば、魂の文学の先鋒隊だ。この三文字には心の底がきりきりする。
だから、ただ喜んでにやけているなど狂気の沙汰だ。どうかしている。もう65歳だ。あれからもう7年もたってしまっている。とうに寿命とのデッドヒートはゴールへと向かっているのである。