越境の自由

僕の大好きな人たちが安倍総理や稲田大臣を敬愛していることもあれば、僕が人間的にどうしても反発を感じる人が安倍政治を許すな!と声をあげていたりする。だから、反感抱く人と一緒にデモを歩き、一緒に笑い合いたい人と対立の立場になったりする。これは仕方のないことだ。
この仕方のなさに込められた絶望の深みを実感できないならば、自分の感性と直感をもその争闘の前に鈍磨させ喪失してしまっている、もうそれはそもそもの敗北に過ぎないのではないか。
だから、同種同類で盛り上がるのは嫌なんだ。私たちが全体である、全体でありたいと高揚するとき、いかなる人も残虐無比な振る舞いでためらいなく容赦のない剣を異者に振り下ろす。
越境する自由。聞く耳を持つ自由。自分の感性と判断と選択の自由をどこまでも守ること。そこから。