1/19文学フリマ京都 原浩一郎&文芸思潮

とても晴れ上がった青空だ。いつも朝早く出発せねば間に合わないのだが、今回は近場だ。余裕をもって朝十時に会場に到着した。
これで出店は四回目となる。開場前の準備も随分と慣れた。ブースの狭いスペースにうまいこと作品を陳列する。
今回は何しろ「文芸思潮」とコラボ出店である。直接会場に送っていただいたのでどんな書籍類が来ているか、楽しみだ。五十嵐さんの著作を案内するポスターと私の方のポスターをダブルで掲示する。今回は机もいっぱいになるし、ブースの椅子からリーフレットを配布して声かけることもできないだろうから、出来るだけポスターで目を引きたかった。
さて陳列完了。なかなかいいレイアウト。開場オープン。文学フリマがスタートである。

今回は途中友人に店番頼んで、ゆっくり出店を見てまわった。そして気になったブースの作品を手に取っては頁をめくる。いい作者を探していた。幾人か、いい文章の作品があった。幻想世界の物語や観念を中心に描いた文章は私には評価ができない。私自身がその良さを理解していないので尺度を持ち得ない。だから手に取るのは現実世界での具体的人間の営みを描いた物語だけだ。
現実を描くには文章の技術的な習熟は勿論だが、描くその社会を具体的に知っていなければならない。職業であったり、立場であったり、また地域や自然であったり。「想像で書く」ということが許されず、知っていないと書けない。だから自分が知っていることは部分に過ぎないと常に観念しておくことになる。人が知っている世界などちっぽけなものだ。たとえばyoutuberの映像で昨日「最格安1900円!の東京カプセルに泊まってみた!」なんて動画がおススメに表示されたが、Booking.comを開けば1500円クラスのカプセルが簡単に見つかる。愛用者にとっては「日常的」なことなのに、「特別」だ!と大げさに興奮する滑稽。またおどろおどろしく「狂人」「犯罪者」などと表現する人を見るが、精神病を患い自分が人間として壊れてしまったという感覚を経験した人は町にも多いし、また毎日何人もの人が刑務所に入り、そして出所している。刑務所の近所に住む人からすれば当たり前の日常だ。それらは「想像上の存在」ではなく、「生身の人間」である。自分の見知っている小さな世界がそれらの人々を含んでいないということを告白しているに過ぎない。恥ずかしい。知っている人から見ればそれは一目瞭然であり「知らない人が書いている」と思われるようであれば、その物語のいのちはそこで終わりだ。自分と同じような小さな世界を生きている人だけが読者となる。人間を描くときもそうだ。人間にはいろいろなあり様がありそしてそれは個別具体的な存在だ。どのように肩書きやプロフィールを細部に至るまで定めたとしても、それで生きている一人の個人が誕生するわけではない。大概は社会の通念となっているステレオタイプや書き手自身が抱いている既存の印象、プロフィール情報の寄せ集めとなるにすぎない。だから体温やそれこそわずかな息の匂いも感ぜられるような生身の人間を産み出すには外界の事象に対する、人間それぞれの感じ受け止め考え行為の仕方を広く熟知していないと群像物語など書けない。それは至難のわざ。だから一人でも生き生きとしたリアルな存在感を持つ人物を描ければそれで十分かもしれない。そして世界の事物や事象、人間の有り様を作者自身がどのように感じ受け止めているかについても、よく知っておらねば作家とは言えないのかもしれない。そうした印象を誰もが抱くのだとつい信じ切ってしまいがちだが、決してそうじゃない。
文章を書くとは、実は素っ裸の自分を晒すようなものだ。つまり見せたいものだけを見せるということはできない。本人が気づかないまま隠していることを、書かれた文章はそのままに剥き出しで露出させる。それでもまだ本人だけが露見されていることに気づいていない。よくあることだ。だから素っ裸以上。文章を紡ぐということはかくも怖ろしく、だからこそ人の心を動かしまた人生すら左右する力を宿すと言えるのだろう。ここに震撼してからが、書くという深淵への参入だ。書くという覚悟、書くという目もくらむ戦慄と興奮への入り口なのだ。

今回ざっと見てまわったなかで、いいなと思う文章をいくつか見つけた。中でも特にいいと思ったのは瑞穂檀という方が書かれていたもの。文章もきれいだし、ナイーブで内省的な人柄がにじみ出ている。人や世界がはらむ怖ろしさを承知しつつ、無言でひそかな愛情を告げている。掌編三編を読んだがどれもいい。また擬人化はそうした感性を持たない人には描くことが出来ず、本人はおそらく気付いていないのではないかと思うが大切な詩的感性。大袈裟に言えば梅原猛が宮沢賢治に言う「山川草木悉皆成仏」の世界。背景にこうした精神性を宿している方の文章は清潔で深みがある。タイトルは少し幼い言葉のセレクトだが中身はどうして落ち着いて深い。全部購入すればよかった。一冊50円のもの四冊150円で購入した。その時150円しか手に握っていなかったからサービスしてもらったのだ。もっと読みたいが方法はあるだろうか。
他にも横山睦、喜多純という方達の創作が良かった。

さて文学フリマ京都は終了した。文芸思潮とのコラボ出店も大成功。次は3月の前橋だ。少し時間が開く。このところ加賀乙彦ばかり読んでいた。思うことは多い。またずっと構想している小説もそろそろ書き出さないといけないと思っている。