安田登「100分de名著『平家物語』」2019

Eテレの「100分de名著」で「平家物語」をやっている。いい。何がいいかって、コメンターがあの安田登なのだ。能楽師ながら、実にわかりやすく読みごたえのある本たくさん書いている。私も「ワキから見る能世界」と「能 650年続いた仕掛けとは」を読み、めっぽう面白かった。能を外から見る目と演じる側からの目がいずれもシャープで、ははーっと感心したりそうなのかと驚いたり目から鱗満載だった。番組では、まずはじめに平家物語は史上の人物を「キャラ化」しているのがその面白さの第一の所以だという。つまり著者がそれぞれの登場人物の性格を際立つように肉付けし作り上げているのだ。そうなると、これはまさに史実の登場人物による創作小説ということになる。なるほど「平家物語」であって、「平家記録」ではない。それに、これは「読む」ものではなく、琵琶演奏をBGMに「語る」ものであり、一人朗読劇の台本である。そしてここからが安田登の真骨頂、番組で平家物語を朗々と唱ずるのである。
七五のリズムに音韻がリフレインし、さらにその言葉からが美しい。圧巻である。全四回の二回が放送されたが、あとの二回も楽しみである。

実は日本史はまったく無知だ。それでもぼんやりと日本の歴史でどうしても引っかかることがいくつかあり、源氏による平家討伐がずっと気になっている。
たとえば近畿以西の辺鄙なところに旅すると、かつて落ちのびた平家が隠れて集落を作ったのだという謂れをたびたび目にする。それは四国から九州、こんなところにまでと驚かされる。さらに私は鹿児島出身で両親の本籍は種子島だが(家系図などない雑種なので先祖に特段関心はないが)、名字からたどると祖先はどうやら平家落人らしいと眉唾ものの話しを父親から聞いたことがある。先祖はともかく、遥か鹿児島あたりにまで逃げのびて来た者もあったということなのかと驚いた。凄まじい。逃げたということは、つまりそこまで執拗に追われたということだ。平家一族に関わる血を最後の一人に至るまで根絶やしにするのだという強烈な執念に源氏が取り憑かれていたということだろう。時代としては江戸時代から戦国室町時代、さらに鎌倉時代をも超えてさかのぼった遥かな中世である。当時の「武士」「戦」の有り様からが、例えば「時代劇」で知っているそれらとは根底的に異なっていそうである。
一般的には、頼朝自身が幼時清盛によって殺害を免れたために平家を打ち倒す結果になったことから、自分と同様に生きのびて反乱を起こすことがないよう殲滅をはかったのだとされる。だが、どうも釈然としない。ここまで攻撃的情動を持続し展開するには、動機が「恐怖」であったことは容易に想像できる。残虐な攻撃の動機は大概恐怖だ。ここのところをもう少し納得したいところだ。源平以後の武士団の争闘で、彼ら以上に深い遺恨で血の徹底的な根絶やしの事例はあるのだろうか。そう言えば、聖徳太子一族の徹底殲滅による根絶やしもあった。なんらか手繰り寄せねばならない或る価値観が当時あったような気がする。

100分de名著、いい番組。ちょっと物足りないこともあるが、大概あたりである。最初に観たのは、石牟礼道子の「苦界浄土」だ。とても良かった。とくに独特の方言文体を朗読する熊本出身の夏川結衣が素晴らしかった。実はこれ、YouTubeで見たのだ。感心して、それから面白そうな回に気づくと録画して観ている。過去の放送で見たいものも多い。
先日神田でサルトルの「実存主義とは何か」を店頭二百円で買ってきた。今さらながら構造主義、ポスト構造主義を知って、さかのぼり改めて読んでみたくなったのだ。批判的にということでもないのだが、確かに今やその「自由に選択する意志」というアジテーションはひどく虚しいが、僕らの世代まではその価値観を知らないうちに取り込んで人格を形成してきたのだなとよく分かる。そういう風に面白く読んだ。100分de名著でも過去に「実存主義とは何か」を取り上げているようだ。観てみたい。

▲ 俊寛 (1)

▲ 俊寛 (2)