馬鹿者、京都に居座る

バカだなあ。自分で思う。寝込んでいた布団から這い出し、週に一度のお勤めに行ったところ。1日間違えていた。orz(👈若い人これ知らないらしい)明日また出直しである。歳のせいか。いや、もともとが呆けているところに加齢で呆けが二乗になったうえに寝込んで日にちの感覚が曖昧になっていたせいだ。いずれにせよ、馬鹿であることに変わりはない。
勤めは山科である。初めて九州から京都に出てきた頃、まだ市内を電車が走り回っていた。左京界隈をウロウロするばかりで、三条だ四条だという繁華街には金もない田舎者は近寄らなかった。その頃まだ東山区だった山科は「ヤクザとホステスの町だよ」と教わっていた。そして当時知り合ったある女性を一方的に好きになり、その娘が住んでいたのが、山科御陵(みささぎ)の二階建てアパートだった。四畳半一間に小さな流しとトイレが付いた部屋だ。左京の学生アパートは共同の炊事トイレが当たり前で、少し広い部屋でないと炊事トイレなど滅多についていなかった。その娘は三条で夜にウェイトレスとして働いていたから、話題も学生とは随分違う世界の話ばかりで、僕にはその狭い部屋がとても大人びて見えたのを覚えている。大学の雰囲気に馴染めずバイトに明け暮れていた僕には大層憧れを刺激された。
山科の下宿と言えば、加川良の「下宿屋」という歌を思い出す。
「京都の秋の夕暮れは、コートなしでは寒いくらいで」
と語り出すその歌は、当時山科に住んでいた高田渡を歌った歌だ。高田渡は私が初めて金を出してLPアルバムを買ったミュージシャンだ。彼に「珈琲不演唱」という歌がある。
「三条へ行かなくっちゃ。三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね」
夜行列車で初めて京都にやってきた高校二年(二度目)のとき、早速向かったのはイノダと六曜社だった。それは高校をトコロテンで卒業したあと、京都に出てきた理由に大きく影響している。
大学を出てから、一度京都を離れている。全国を転勤で回る仕事だったため、もう二度と京都に戻ることはないだろうと思っていた。ところが数年後に提示された転勤先は京都だった。わからないものだ。結局そのままずっと、居座っている。
もう石山駅に着いた。出直しだ。今日はまた布団にもぐりこんで、本の続きを読もう。

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