ロン・ハワード – 「ビューティフルマインド」

ノーベル賞を受賞した天才数学者の伝記映画と紹介されているが、物語の軸は統合失調症による「幻視次元」と「現実」と間の揺れ動きである。幻聴が言わば単なる空想的な音声でなく、ひとつの統合された人格を持つ見えざる人の語る言葉であるのと同様に、幻視は一瞬の空想的な視覚映像にとどまらず、他の人には見えないひとつの統合された人格を持つ人間が見えるということだ。これがとてもよく描かれている。
確かに、自分には見えて聞こえて会話ができるその人が他の人には見えないのだと知るとき、他の人に見えて聞こえるものだけが「現実」であると宣告されたら、いったいその「現実」と「妄想」の峻別をどのようにつけたらよいのか、絶望的な思いに突き落とされるだろう。自分の体験している現実を、「それは現実ではない」と言われるのだから。
やがて病は寛解し、大学に復帰し教壇に帰るのだが、他の人に見えない者が同様に見えなくなったわけではない。私には見えるが、この社会の人々には見えない、という現実と折り合いをつけているのだ。
全体、抑えた深い色合いの映像が美しく、またどこか郷愁的でもある。
当事者研究においては妄想の声や姿を「妄想君」と呼んでいるとも聞く。すくなくとも、自分たちにとっての異者をいてはならない者と感じる「普通」のメンタリティが残酷極まりないことをまた感じさせる映画でもあった。