十代

中公新書の「高校紛争」を読んでから、十代精神の清冽な冷気の森を彷徨している。

併せて注文していた三一版「高校生は反逆する」も届いた。はじめに読んだのは高校時代だ。中に掲載されている高校新聞の論説が社会思想から哲学さらに文学へと網羅しておりその内容があまりに高度かつ難解で、都会の高校生はなんて頭がいいんだと打ちのめされ、これはかなわないと友人と語り合い、わけのわからない敗北感に襲われたのを覚えている。今回、その論説の執筆名を見て驚いた。灘高生時代の「高橋源一郎」による論文だった。当然、当時はまだ作家デビュー前だったために分からなかったのだ。なるほどその敗北感は真っ当だ。納得した。

高校生当時、大学生には全く魅力を感じなかった。バリケードなど大学の状況には憧れたが、活動している大学生たちにはまったく惹かれなかった。身の周りの高校生の友人らの方がはるかに魅力的だったからだ。それは友人らの個性もあろうが、より決定的だったのは二十代と十代という違いだ。二十代はすでに、十代を超えた人々だ。出会った学生はそれなりに問題意識を抱えた人々ではあったが、文学系サークルにつながる人々だったからか、ひどく腑抜けて余裕をかました特権集団のような印象に、ひそかに反発を感じていた。言わば、二十代には十代の闘いがなかった。二十代の闘いは物足りず、十代の鮮烈な抗いに比すれば腐敗臭がした。その印象はずっと変わらない。

批判する気はないが、例えば大学解体を叫びながら卒業後大学に残り研究者(職員)になるというのは理解ができなかったし、「いちご白書をもう一度」的な「挫折」は正直不快に感じる。もちろん、挫けることを拒否する、と自身に刃突きつけるように挑み倒れた人々の負った痛手はあまりに過酷だったことは知っている。それは理解や想像を超えたものだ。そしてそういう多くの方はその後沈黙し、また語ることが自らにおいてできるまでに相当な時間を必要としたことも承知している。しかし、その一方で、逆にかつての勇ましい武勇伝を嬉々として誇らしげに語る「元全共闘」にも多く出会った。彼らには、心底うんざりして来た。嫌悪感しか感じない。

所謂学生反乱の時代に高校闘争を担った当時の高校生には会ったことがない。もっとも激しく彼らが闘い、社会の耳目を集めたのは、1969年3月全国で展開された卒業式粉砕闘争である。その1月に東大安田講堂攻防があり、すでにノンセクトによる闘争主体としての全共闘運動は退潮期に入っている。遅れてそのピークを迎えたということになるだろうか。私は1971年に高校入学した。その高校でも紛争めいた事態はあったと聞いていたが、その具体的気配はもはやどこにも残っていなかった。そして高一の冬にあさまから連合赤軍事件となる。決定的に青年の大衆的闘争は火を消してゆく。

しかし、あらわれた紛争の見栄えで測るものではない。以後の風潮を当時それは「シラケ」と言われた。しかし、それはまさに「虚無」であり「抑鬱」そのものであったはずだ。だから高揚する精神の爆発と連続した紛れもない青年精神のひとつの表れであり、変わらぬ行き場ない煩悶を基としている。何も変わっていないし、終わってもいない。「もう若くないさと、君に言い訳したね」これは上記の「いちご白書—」の歌詞だが、帰還帰順を意味するなら、はじめから帰るところを用意した出撃であったと自ら明かしている。進撃しては退却し、負けたと見せては力を貯める、したたかなゲリラ持久戦とはあまりに遠い。そこに見えるのは「往きてて帰らじ」を装いながら、ひそかに戦列からの離脱を最初から予定していた自己欺瞞の気配だ。一方、自ら退路を断ち、帰るところのない出立に向かい全身で「敗北」を負った多くの人々の存在を、そのようにかき消してはならない。そしてまさに、十代の抗いは担保のない無謀な出立だからだ。

例えば、高校生による当時の闘争の未熟さを明かすエピソードとして、「お母さんが起こしてくれなったから」高校占拠封鎖に間に合わなかった、という高校全共闘活動家の話が新書「高校紛争」に出てくる。今や世界的音楽家坂本龍一自身のことだ。これをあまりに情けない甘えの典型と批判するのはたやすい。すでに二十代の学生たちは下宿生活を送るなど、当り前に毎朝「自分で起きて」いたからだ。しかし、その指弾は不当であり傲慢だ。なぜなら立場が違うからだ。二十代の学生たちが、十代の高校時代自分で起きて処分による放逐を覚悟して高校占拠に出かけて行っていたのなら批判する権利を有するかもしれない。しかし、おのれの高校時代、母親に起こされては大学受験を目指し高校に漫然と通っていたのであるなら、口をぬぐって高校生を批判するなど噴飯ものも甚だしい。サラリーマン時代、例えば鉄道ストに心底腹を立てるなど、あらゆる異議申し立ての闘いに冷水を浴びせてきたくせに、定年退職し快適な生活を失うリスクがなくなるや、一転して若者の「右傾化」を嘆き、反体制を気取る老害の姿とまったく同じでないか。

だからなのだ。十代の抗いは闇への出撃であり、退路のない跳躍である。それは意図による断念ではない。現状認識も獲得目標も安全弁も危険性も不明なままの意志の発動だからだ。考えても見よ。二十代で大学学籍を失うことと十代で家庭を失うことのその人生におけるリスクはどちらが大きいか。だから、侮ってはならないし、軽んじてはならないのだ。十代の鮮烈な葛藤と無謀な行動。その精神の流血には、畏れしかふさわしくない。

今や、もう十代は荒れない。深い裂傷には至らないものの夥しい擦過傷を全身に負い、骨折には至らずとも全身くまなく打撲傷を負い、空虚と去勢によって愛撫され続けてきた心たち。2018年の十代と1974年の十代をつなぐ通奏低音は何か。それを描かねばならない。それが何か、言葉にまだ結べなくとも、私には確信がある。何十年を隔てても、十代に変わらぬ悲しいほどの暗いきらめきを見るからだ。羽風のめくるめく陶酔や砕け散る薄硝子の破片が血肉を裂く痛みが、むせるほどに変わらず立ち込めているからだ。書かねばならぬ。色彩おびた魂の発芽を。書かねばならない。