on the run

盆を過ぎ、八月も下旬となった。猛暑とか酷暑とかいう表現は耳慣れていたが、今夏の「危険な暑さ」という言い方を聞いたのは初めてでなかったか。災害としての暑さという認識は正確に理解するまでなかなか時間がかかった。
ようやくしのぎやすくなった。昨日は、湖沿いに北へ片道65キロ自転車で走った。このところずっと湖一周を走っていない。周回がちょうど200キロであるから、試しに往復130キロを走ってみたのだ。時間は合計で9時間かかり、最後は腿が痛くなった。これではまた一日で湖を周るのは難しい。残念だ。できていたことができなくなる。力を失ってゆくこの感覚は体験するまで分からなかった。せめてもう少し体力をつけようと、今日は炎天下を5キロ走った。走ったというのは嘘だ。走っては歩き、歩いては走った。だから、半分は歩いたかもしれない。それでも爽快だった。
何を急に体を鍛えようと焦りだしたのか、というと、そういうことではない。実は先週末ようやく或る公募コンクールに脚本原稿を送った。そうして今月末までの十日間で二本原稿を挙げねばならない。一本は短編小説で規模の小さい公募だ。もう一本は脚本の初稿である。脚本の方はすでに粗いシーン割まで書いた企画書を監督に見ていただいているから、そのとき指摘された部分に注意して仕上げればよい。問題は短編の方。普段書いているのはもっぱら百枚を超える中編以上なので慣れないし、どう考えても一週間で仕上げねばならない。どうにかしなきゃ。だから自転車で走ったのだ。
昔から自転車で走りながら考え事をするのが好きだ。というか、走っていると、いい考えを思いついたり、思いが整理されたりする。だから、どう短編に向かうか、あれこれこれまでに思い貯めていたテーマなど検討しながら、ペダルを漕いでいた。しかし、ずっとそればかり頭いっぱいで走るわけではない。そらそうだ。危険すぎる。で、もう六時間は走ったのにまとまらない。今日は走っただけで終わるのか、と悔しい思いがして来た頃に、ふっと思いついた。前に書いた20枚の短編映画脚本がある。賞をもらったが、映画化されずに終わったものだ。これをもとに小説に紡ぎなおせばどうか。頭であれこれ想像巡らせ、行ける気がする。短編50枚にはサイズもぴったりだ。すっきりした。
早速今日は12枚書けた。いい調子。それで、川沿いに走り出した。
九月になれば、もう夏は終わりだ。暑さの日々は続いても、やはりそれはもう夏ではない。逝く夏を惜しむ寂寥の残暑だ。夏の間は創作に向かう。
YouTubeに、SamanthaFishの新しい動画がアップされていた。18日のブルースフェスの映像だ。お疲れ気味だが、相変わらずだ。いい。