NHKドキュメンタリー「1968 激動の時代」2018

今年は、1968年から50年である。BSで「1968 激動の時代」というドキュメンタリー番組が前後編二夜連続で放送されはしたが、「あれから50年」ということがさほど社会的に関心を集めたとは言い難い。
そのドキュメンタリーでは、切れぎれのエピソードや事件を知っていただけだった当時の西ドイツやイタリアの運動についての貴重な映像がとても新鮮で興味深かった。そしてメキシコの映像には驚いた。オリンピック開会式の直前、非武装の市民を軍が銃撃して多数の死傷者を出していることなど、私はまったく知らなかった。逃げ惑いむごたらしく射殺される市民を遠方から隠れて撮影したかのようなその粗い映像は、欧米のどこか華やかさすら漂う異議申立とはまったく異なり寒々しく凄惨だった。そして日本の映像。欧米とは違い、日本はベトナムに派兵はしていないが、沖縄はベトナム爆撃の出撃基地である。もし北ベトナムが強力な空軍を有する国家であれば、当然沖縄米軍基地に攻撃を加えただろうし、その当事者性は明らかであった。日本における1968年の映像は見慣れたものであったが、同時多発的に突出した各国の抗議行動と並べると、やはり特異に見える。例えばフランス五月革命の青年たちの「闘う姿」は普段着であり、武器は「投石」である。そしてアメリカではそうした非武装の青年を制圧するのは銃を持った「州兵」である。日本において、制圧側は決して軍ではなく警察である。当時場面によっては制圧のために銃が使用されたことは裁判や映像で明らかとなっているが、おおっぴらに映像には表れない。そして青年たちはヘルメットに角材が主体で「武装」とまでは呼べないが、その衝突場面の迫力は凄まじい。撮影の仕方によるにしても、映像からは明らかにルサンチマンが覆いがたく溢れている。こうして眺めると、アメリカ支配下のアジア敗戦国の戦後情念がにじみ出ているように見える。最近は「べ平連」をこの時代の画期的運動と歴史的に評価するのが定説となっているようだが、それは社会運動論としてであって、私はやはり、まさに青年期に戦争を直接担い体験した世代の二世が親から引き継いだ心理的影(シャドウ)がはからずも否応なく爆発した情念を感じずにはおかないし、加害者性を「敵」だけでなく自己の内にも問う「自己否定」などという政治力学的には敗北でしかないテーゼを掲げた悲劇的な文化革命運動という特筆すべき一面を留め置かねばならないと思う。
私は1968年に中学一年生であった。当時テレビニュース等でそれらの出来事を見聞していた記憶はあるが、関わりのない遠い世界の出来事であったし、特別な関心がないから反発も憧れも抱いてはいない。ぼんやりと学校に通っていた間の抜けた鹿児島の13歳に過ぎない。翌年初頭に東大時計台攻防があり、一気に大衆的熱気は冷め闘争が先鋭的になるにつれ、その頃から報道も「過激派」という呼称を使用するようになる。政治的主張や立場など関係のないただの暴徒としての蔑称だ。それまでは「反日共系学生」など言われていたはずだ。私がなにがしかそのニュースを心理的にも事件として受け止めたのはそのずっとあと、1972年2月が最初ではなかったか。だから、私にとって1968年はさかのぼって知る時代であってリアルタイムに体験した時代ではない。
先日、或る人文分野で日本では最高峰の知的権威の一人である方と親しくお話をする機会があった。1968年が話題となり、岩波の「思想」誌今年の5月号特集「1968」をお借りした。当時を席巻した新左翼とは立場を異にする方だが、懐かし気に当時の話をされる。学童期には疎開先の湖畔で上空を飛ぶB29の編隊を眺め、戦後に社会運動に身を置くかたわら学究者として一線の研究と教育に邁進され、このきな臭い時代にいても立ってもおれず講演等に精魂傾けておられる。その姿に私は何を噛み締めるべきなのだろうか。
先週また新聞取材を受けた。夏に取材を受けた記者とは別の新聞社であるが、二人の記者ともが私の娘と年齢が同じであった。尋ねられ自分の主観的体験を語ることはたやすいが、その背景たる事情を伝えることは難しい。「なぜ、家裁調査官をやめたのですか」その女性記者の問いに、思わず口ごもってしまった。その質問に答えるには、労働組合というものを語らねばならないし、1989年という年を話さねばならない。「1989年って分かりますか?当時は?」「一歳です」思わず笑顔になってしまう。昭和天皇の死去、天安門事件、ハンガリー総選挙、総評解体から連合発足、そして秋から冬にかけての東欧社会主義政権のドミノ倒し、その過程でのベルリンの壁崩壊、そしてクリスマスのルーマニア革命。伝えるのは困難だ。私には、1989が1968である。
あとひと月余で2018年は幕を閉じる。年が明けて1月18,19日にその50年をひそかに想う今や老齢者たちもあるだろう。私は2019年に、その30年を噛み締めたいと思う。
上記の先生と黒澤明監督の映画「わが青春に悔いなし」の話で盛り上がった。繰り返し映画で原節子が呻くようにつぶやく言葉「顧みて悔いのない生活」。悔いが生きる原点である。老いるほどにそうなのだ。悔いが生きる原点だ。