ポール・バーホーベン – 「エル ELLE」2016

エル ELLE 2016
圧巻。とても面白く見応えがあった。パルムドール獲得はならなかったが、カンヌで極めて高評価を得たというのも納得。主演女優がとにかく凄いし、脇の俳優も実に上手い。ステレオタイプでないユニーク(唯一)なその人を完璧に演じ切っている。見終わって考えると、一見どこにでもいそうな主人公が息を呑む特殊なプロフィールを隠し持っているし、描かれる猟奇犯罪の異様な倒錯心理は不気味だし、それら異常性に敬虔な信仰を隣り合わせる。奇怪な深層心理をことさら異常と否認して斥けることなく、闇に正面から対峙してくぐり抜けどうにか生き延びる物語だ。
こう書くと相当しんどそうだが、映画自体はそんな複雑さに戸惑う前に、ぐいぐいと展開に引きこまれていく。特に巧みだと感嘆したのは、とにかく脚本が「説明的でない」ということ。だからと言って、よくあるちんぷんかんぷんな難解さもない。ちょうどいい具合のあいまいさ、余韻、ほのめかしで組み立てられている。例えば、本人の記憶と妄想が同様の映像で回想される。それは提示されるだけで、こちらは妄想ですと説明があるわけではない。それでも、わかるのだ。
脚本を書いていて、悩むことの一つが、見ている側が「理解できるか」「ついて行けるか」、つまり説明の「度合い」。作る方としたら余計な説明なんてしたくない。でも、映像だけで事情背景あるいは心情葛藤を伝えるというのは至難。もちろん「台詞で具体的に解説」なんてしたくない。だから、見ている側がどのように受け止めるか、不安になる。わからないと台無しだけど、わかりやす過ぎると白ける。この塩梅がまだむずかしい。
経験のなさだ。
小説だとこういう戸惑いはない。脚本だとこの悩みがつきまとう。ただすでに完成された映画作品をいくら見ても足りない。実際に脚本を映像化する経験なんてこれから先どれほどあるか。だから、脚本と首っ引きに完成映画を見るほかない。それがいちばんのトレーニングに思える。
言葉による表現上のレトリック、つまり比喩暗喩隠喩は十代から散々塗れているので、自由に操ることが快感でもある。ところが映像表現はまだ駄目だ。体得は稚拙な段階。
しかしそうも言っておられない。年寄りになって本格的に歩み入ったのだから、それなりの辛酸を舐めねばものにならないのは当然だ。研鑽を自らに課さねば。