観世元雅「弱法師」(友枝喜久夫)

「弱法師」と書いて「よろぼし」と読む。天才とうたわれ夭逝した世阿弥の長男観世元雅作の謡曲である。主人公シテは俊徳丸。盲目の弱法師つまり乞食である。よろよろと歩くからよろ法師。弱法師は当て字だ。当時乞食は僧の身なりをしている者が多かった。
乞食と言っても、もう私たち老人しかリアルにその姿を思い浮かべることはできないかもしれない。ホームレスと呼ばれた人たちも見なくなってしまった。能では乞食を主人公とする物語が目立つ。室町時代に乞食という存在を通して描かれた人間の苦悩やこの世の哀れさや恐ろしさが、ほんの数十年前までリアルによく理解できたということも凄いが、連綿と何百年も存在してきた人々をほんの数十年で町から消し去ったこの急激な歴史の不連続にも改めて驚愕する。
乞食は江戸時代までは人々から食やものの施しを受ける「物乞い」という時の権力に公認されたそれはれっきとした生業であった。つまり許可された人々にだけ許された社会的経済行為であったのだ。もともと僧侶は托鉢という市井の人々からの布施によって生活していた。だから僧から乞食に転落する者もあれば、僧のふりをする乞食もあった。社会が「働かざる者」を許容し包摂していたということだ。托鉢へのお布施は、俗事にかまけて生きる者が仏道修行に人生を捧げる者への畏敬によって発心から行う行為を基とする。決して同情や憐憫などではない。むしろ布施をする側がもともと抱いていた「うしろめたさ」から救済されるための、言わば贖罪行為でもあった。
しかし私たちが知る乞食という言葉は「金やものを乞う」という社会的行為よりも、ぼろをまとう陰惨なその姿を差別して侮蔑的に用いる言葉だった。私が幼少の頃は当たり前にそういう人々が町をうろついていた。「乞食」とは別に「浮浪者」という言い方もあった。社会の「普通」から脱落し転落した、言わば「なれの果て」である。
能「弱法師」の俊徳丸は、讒言による誤解で父親によって家から追放され、「悲しみのあまりに」盲目となり、汚い乞食に身を落とした少年である。俊徳丸は聖徳太子が初めて開いた四天王寺にたどり着き、布施を受ける。ちょうど俊徳丸を追放した父がそれを悔いて人々に布施行を行っていたのである。俊徳丸はよろよろとして見た目は哀れなめしいの乞食であるが、語ることはよく仏法も風雅も解する清廉な少年であることに驚かされる。しかし、あまりの境遇に打ちのめされとうに人生に絶望しているのだ。父はそれが我が子と気づくが人目を気にしてその場では明かさない。そしてここからである。俊徳丸は何も見えない闇の中にありながら、心眼を開くのである。父に促され俊徳丸は「日想観」を行う。ちょうど彼岸の中日で、釈迦の教えとして西を向いて落日に浄土を観想する「日想観」を行うのが参拝者のならいであった。あれこれ方角や事物を確かめ、かつてこの目で見ていた様々を思い起こしながら「日想観」を行う俊徳丸が突然に声を上げる。「おう、見るぞとよ、見るぞとよ」見えるというのである。南には住吉の松原、東には日下山、そして北には長柄橋。興奮して俊徳丸は歩き回る。悟りの境涯を得て、盲目ながらその光景が見えるのだ。しかしだ。その歓喜はすぐに消え去る。浮かれて歩き回るほどに、人にぶつかり、つまづいては転び、もとより足弱いめしいにすぎず倒れるのだ。弱法師と皆に嘲笑われ、現実に引き戻される。人の言うそのとおり、自分は弱法師に過ぎないと哀しく沈み、もう狂うまい、はしゃぐまい、興奮すまいと自分に言うのだ。なんとも劇的な場面である。そして夜分となって父が明かし故郷実家へ帰るところで終幕となる。
謡曲弱法師を私は知らなかった。NHK日本の芸能で「白州正子の愛した名人たち」と題する特集があり、友枝喜久夫演じる「弱法師」の一部が約十分放映されたのを見たのだ。白州正子自身の文章は勉強にはなるが、その界隈の雰囲気は前にも書いたがどうしても苦手だ。今回も「白州正子と交流のあった」演劇評論家と称する人物が白州正子との交遊を自慢気に語る。これはどうしたことだろう。なんとなく「皇室」と親しく接することで一般庶民とは違うワンランク上だと勘違いしている人の風情と似ている。そして滔々と庶民言わば能の素人に教えを垂れるように能の鑑賞法を語るのだ。実に気分が悪い。また私自身も「歌舞伎は分かるが、能はどうしても分からない」と真顔で言われ、戸惑ったことがある。私は能が大好きであるが、能を「分かった」とは思ったこともない。また古い譬えで悪いが「ジミヘンを分かる」とは言わない。「ジミヘンが好きだ」としか言わない。「ボブディランのブロンドオンブロンドがわかる」とは言わず「ブロンドオンブロンドはいい!」と言う。大友良英でもラファエル前派でもドビュッシーでも、そうだ佐藤浩市でもかまわない。「わかる」ではなくて「好き」なのだ。だから「分かるから、分からない奴より偉い」なんて馬鹿げた話だ。私は能が好きだから嫌いな人より偉いと振る舞うなら、アホか!と言われるだけである。しまった。また「狂って」しまった。ともかく番組で「弱法師」に惹かれ、謡曲集を開いたのだ。
ところで「秘すれば花」という世阿弥の言葉は、秘策は上演まで隠し舞台であっと言わせよ、という意味だが、能はわずかに不明の部分をわざと残し観客の受け止めに託すところがある。観客の受け止め方によって完成するという芸術エンタメの最高形だと思う。そのために上記の「分かる・分からない」なんてことが出てくるのかもしれない。しかし、安易な曖昧さにとどめるのでは決してない。演じる能楽師本人はぎりぎりまで能を作り上げるのである。
例えば、「弱法師」の悟りの場面。これは本当に悟りなのだろうか、それとも錯覚なのだろうか。あるいは、哀しい現実逃避の自演なのだろうか。それは言葉では語られない。しかし、演じる能楽師自身はその答えを持って語り舞うのではないか。観る者はそれをキャッチもすれば、あるいは自分流に理解する。それでよいと思われる。
そして最後の場面、俊徳丸は父に連れられ家へと帰ることになるが、それは果たして長い不運と不幸の終わりとなるだろうか。テレビで上記の評論家は友若演じる弱法師は決してハッピーエンドではなく哀しみが漂っていると述べた。それは観衆によって持ち帰られるのだ。舞台の余韻として心に長く残るのはそういう仕掛けだ。
俊徳丸は讒言、つまり偽りの告げ口のために放逐されこの世の辛酸をとことん舐めて盲目の乞食となる。彼は決して、讒言の主も誤解した父をも恨みはしない。また弱法師となじって笑う人々を憎みもしない。彼はただ、おのれの不運と不幸をひたすらに嘆くのみである。父が自らを明かしたときも、自分を恥じて逃げ出そうとまでしている。もともと長者の跡取りだ。観る者は父との再会に胸なでおろしよかったと喜びながらも、どことなくに一抹の不安を抱かせるのはそこなのだ。彼の自己卑下は癒されるだろうか。庶民以下の底辺社会であっても心通わす者が一人もできず、ただただ運命に翻弄されるままだった彼が、恵まれた元の境遇に戻ったからと、それで幸福になれるのだろうか。
ところで俊徳丸、そう聞いてすぐに思い出したのは蜷川幸雄の「身毒丸」だ。以前に能物語を原案とする劇だとどこかで読んだことがあった。これである。能だけでなく浄瑠璃でも俊徳丸は上演されている。それを原案に折口信夫が「身毒丸」という小説に著し、さらに寺山修司が舞台台本としたのだ。これが蜷川演出で藤原竜也15歳のロンドンデビューとなる。「身毒丸」の毒々しいストーリーは触れない。映像で構わないから一度見てみたいと思う。
それよりも逆に源流なのだ。ウィキによると弱法師の原案は中世の説話「しんとく丸」に由来するという。「俊徳丸伝説」について、そのまま引用してみる。

「俊徳丸伝説
河内国高安の山畑(現在の八尾市山畑地区あたり)にいたとされる信吉長者には長年子供がいなかったが、清水観音に願をかけることでようやく子供をもうける。俊徳丸と名付けられた子は容姿が良く、頭も良い若者で、そのため四天王寺の稚児舞楽を演じることとなった。この舞楽を見た隣村の蔭山長者の娘・乙姫は俊徳丸に魅かれた。二人は恋に落ち、将来、一緒になることを願うようになった。しかし継母は自分の産んだ子を世継ぎにしたいと願ったため、俊徳丸は継母から憎まれ、ついには継母によって失明させられてしまった。さらに癩病にも侵され、家から追い出されてしまい、行きついたのは四天王寺であった。そこで俊徳丸は物乞いしながら何とか食いつなぐというような状態にまでなり果てた。この話を村人から伝え聞いた蔭山長者の娘は四天王寺に出かけ、ついに俊徳丸を見つけ出して再会することとなった。二人が涙ながらに観音菩薩に祈願したところ、俊徳丸の病気は治り、二人は昔の約束どおり夫婦となって蔭山長者の家を相続して幸福な人生を送ったとされる。それに引き換え、山畑の信吉長者の家は、信吉の死後、家運が急に衰退し、継母は物乞いとなり、最後には蔭山長者の施しを受けなくてはならないような状態になったという。」

伝説もそのままで劇的な上質の物語だ。消えることなく語り継がれて来たにはそれだけ人々の心に食い込むエッセンスがあったのだろう。この伝説から謡曲「弱法師」を作り上げた観世元雅もとてつもない作家であり演者だ。元雅の祖父観阿弥は名を馳せて都に上るがそれまでは地方の人気申楽師ににすぎなかった。人々から乞食と蔑まれる身分だ。乞食に身を落とす塗炭を強調したのはそのためもあろう。能は苦悩の芸術だ。単に精神的苦痛ではない。蔑まれ底辺で暮らしの困難にあえぐ人生の苦しみ物語だ。そこに「解決」や「救い」はさほど強調されず、もっともな「答え」は用意されない。だからこそ人々の心をつかんだのではないか。世阿弥が自身をしのぐ天才と称した観世元雅は30代で早逝する。それから失意の世阿弥は将軍から疎んじられ、70歳を越えながら遠島に流される刑を受ける。物語はいつも悲劇のかたわらにある。