中野信子「考える喜びを失わずに生きるということ」2017

中野信子という脳科学者は面白い。そう思っていた。
BSで「英雄たちの選択」という歴史を題材とした番組がある。歴史ものの番組はいくつかあるがこの番組が面白い。「ザ・プロファイラー」という歴史上の人物をプロファイリングするという番組があるが、ちょっとどうなんだろう、と首傾げたくなる。とても一面的な或る「解釈」の提示を、まるで「真相」のように描いて、まるで「分かった気にさせる」感じがして嫌である。歴史上の人物も出来事も知れば知るほど深みがのぞいて、分かってくるごとにもっと知りたくなるものだ。ところが、「ザ・プロファイラー」だと、「これはこういうことだったのだ」と「わかった気」になって、もう知ろうともしなくなりそう。さらに、違う観点からの別の解釈に聞く耳持たず、また前提を覆す資料的事実を頑なに無視するという態度になりがちだ。この「わかった」という幼児的な頑固さは多分に、感情が決定していると思う。その解釈が自分の情緒に合致したためだ。なんだかそういう作り。
「英雄たちの選択」はうまく立体的に歴史事件を描く。ナビゲータが歴史家の磯田道史だからかなりの根拠を前提にしつつ個人的な感想もぐいぐい率直に述べる。磯田は歴史版さかなクンだから、捉え方もかなりまっとうで、不快に感じることが全くない。
で、中野信子。この番組で歴史家や大学の先生、あるいは作家などと並んでいる。「脳科学者」としてコメントを述べるのだ。もちろん異質だ。歴史なんて超文系の世界にごりごり理系ー東大工学部卒東大医学系大学院卒という肩書ーの科学者が並んでいるのだ。このあたりの越境をなんとも感じていなさそうな風情もいい。いつもコメントに感心している間になんだか美人に見えてきた。低い声もなんだか妙にいい。
と、テレビだったか、youtubeだったかで、実はあの黒髪のボブヘアが実はウィッグで、脱ぐと金髪だと知ってびっくりしたことがあった。ヘビメタ好きだという。一冊も著書を読んでいなかったが、モーツァルトよりメタリカ聴けという本がベストセラーになっているらしいのだ。

そして昨日ネットで、中野信子とヤフー川邊健太郎との対談を見つけた。とても面白い。彼女も空気を読めない人が努力して社会性を学習獲得したタイプだとはっきりわかる。そしてこれも磯田同様、凄まじく知能が高く生まれついている。きょとんとして鈍感そうに見えて実は内心とても傷つき苦悩してどうにか子供時代を生きのびたサバイバーだ。そう理解するといろいろなことが合点が行く。この特性の人を僕はとても魅力的に感じる。
そしてここからが本題。
驚いた。対談の中で、中野信子は「愛情が憎しみを生む」ことを脳科学者としてとてもわかりやすく述べているのだ。それは私がずっと大事に検討していたテーゼ。
私がそれを知ったときは、とても衝撃だった。「愛とは他を生かすこと」であるはずだが、真逆に「他を殺す」ことにそのまま転化する。つぶさに検討して行くと、その「愛」なるものは「憎悪」と一体で、「同じもの」だとわかってきた。だからそれは「愛」と呼ぶよりも「愛着」「妄執」と呼ぶのが適当で、仏教でいう「執着」とはこれではないかと見えてきた。苦は遠ざけ、快には近づく。「甘美」で「心地よい」ために惑うのだ。決して性愛のことではない。心理的な充足感であり恍惚感をもたらすものだ。だから「愛国心」とはそのまま「他国を憎む」ことであるから、警戒せず無批判に称揚すること自体、とても危険で実は常軌を逸していると言ってもいいほどなのだ。つまり、文部省の指導要領に「他国を憎み敵意を抱きましょう」などとあったらとんでもないが、実はそれに等しい。それが男女間であれば「恋愛」であり、さらに親族であれば「家族愛」であったり、また地域や社会的の「絆」であれ、過剰な心的紐帯はまず必然的に敵意と反感の温床となる。これは大変なことだ、と自分で思った。私自身、「愛」を単に倫理的な価値という以上にすぐれて普遍的な中心概念と理解していたから、私にとってコペテンの衝撃だった。だから、これをどうやって表現することができるだろうとずっとぼんやり考えていた。ところが、中野信子。社会学だの心理学だのなんてもんじゃない。エビデンスに裏打ちされた脳科学として明かしているのだ。凄い、と思うと同時に気が抜けた。まさに実証科学として明解な分、説得力も十分である。

以下 対談を一部引用する。

川邊:中野さんはどういうテーマを研究されているんですか?

中野:いちばん興味があるのが、「社会性」です。特に「集団になると、個人の意思決定がどう変容するか」というところですね。例えば、みんな「いじめはよくない」って言いますよね。だけど、集団になると「私、見なかったことにしよう」とか。「みんなの言っていることにとりあえず従っておかないと、自分が危ない。同調しよう」という圧力がかかったり。他の例でいうと、選挙のときに「みんなはこの人に投票しているということは、もしかしたら自分はそうは思わないけれど、この人には魅力があるのかもしれない」と思う現象とか。集団になると、どうして個人の意思決定が変わるのか。というところに興味を持って研究しています。

川邊:個人で考えたときの脳の働きと、社会的な圧力がかかったときの脳の働きは、調べるとぜんぜん違うものなんですか?

中野:違います。その状況を想定してもらってMRIで測るということになるので、実験室が現実の状況そのままというわけにはいかないんですけどね。ただ個人でいるときと集団でいるときの違いっていうのはおそらく、「オキシトシン」が原因で変わるだろうと想定されるんですよ。

川邊:オキシトシンってなんでしたっけ?

中野:例えば、川邊さんはお子さんと接する時に口調が変わりますよね?あのとき気分も変わってません?そのときに出ているホルモンがオキシトシンなんですよ。愛情ホルモン、という俗称もあります。当然、自分の子どもだから出るものでもあるけど、自分がずっと仲良く面倒を見ている部下だったりとか、奥さんだったりとかに対しても出るんですよ。つまりオキシトシンは人間関係を作るホルモンなんですよ。そのときに人間は果たして、合理的で冷徹な判断ができるかということなんですね。どっちかというと愛着の方に寄った判断をしがちだということがわかっているんです。

川邊:社会的な圧力がある中でする意思決定っていうのは、オキシトシンが出て、その物事が合理的といえるかどうかは、集団への愛着で決まると。

中野:そうです。これを反社会性の逆で「向(こう)社会性」と言います。向社会性が高まると、いますごく好ましい例を出してお話しましたが、あまり好ましくない例もあります。家族など自分が愛する者を攻撃してくる者や壊す者がいたら、自分の身を捨ててでもそいつを排除しよう、攻撃しようという気持ちが、オキシトシンによって高まるという結果が出ています。

川邊:オキシトシンが分泌されるんですか?

中野:そうですね。オキシトシンが分泌されていて濃度が高いときにこの気持ちが強くなるようです。そうするとなにが起きるかというと、集団でそれが起きると、相手の集団に対して不当に攻撃を仕掛けたりとか、不当に低く評価したりとか。仲間意識が強いほどそれが起こりやすい。会社対会社だったら競争原理が働くという意味ではいいのかもしれないですけど、国対国のレベルで起きたときに、とても危険な状態になります。実は、戦争が起きる原因は愛情ホルモンにあるという。

以下はインタビュー記事を読んでほしい。まさに、そういういことである。
ここまですっきり明かされると、そのことを理解してもらうという前段が不要になり、一気にこれを前提とした物語を展開すればいいということになる。得したような、なんだか虚しいような気分である。
それにしても、やはり中野信子はいい。「苦しいと考えることが、落ち着いてみると楽しかった」これはひとつの境地だ。さらりと言っている。実感だとわかる。

リンク:中野信子-川邊健太郎 『夢中の深層』考える喜びを失わずに生きるということ」

▼ ダイジェスト映像
https://www.youtube.com/watch?v=o3wa54sHyaw