パゾリーニ - 「狂った夜 La notte brava」1959

「狂った夜 La notte brava」
1959年 イタリア映画。脚本がパゾリーニ。画面はネオリアリスモの延長上で砂埃と戦後退廃が漂っている。描かれる青年群像はまさに刹那的な虚無そのもの。大きなコンバーチブルカーに飛び乗って夜の街を疾走するシーンなどアメリカ文化への憧れとも見えるが、その車を所有するのは同じ不良でも揃いのスーツをきめた「有り余る金を持った」連中だ。主人公らの帰るあばら家とは別世界だ。だから折角親しくなったその金持ち階級の家から結局は札束を盗んで逃げる。やはり、戦勝国資本主義リーダーの無邪気な傲慢文化に、ネオリアリスモは唾きを吐くのだ。映画を見て無性に連想が重なったのは日本の「狂った果実」だ。湘南の不良群像はちょうど、カモにされる金持ち不良の生態そのままに見える。一方で、暗くじめじめして閉鎖的因襲に縛られた八つ墓村的日本風土を「太陽の季節」がことさら無駄に隠そうとしたように、パゾリーニもイタリア社会の何かを拒否し否定しようとしたのだろうか。この映画の青年や娘たちは犯罪や売春でその日を生きている。詐欺や盗みで手に入れた大金を一晩で蕩尽した朝、青年は最後に残った一枚の紙幣を橋から捨てる。それはむしろ潜在的に富を憎んでいる貧困階級の血を象徴する姿のようにも見える。この延長にフェリーニの「甘い生活」などあると思うが、それは貴族ブルジョア階級の話だ。この青年たちは裏切り合い騙し合いながらもつるみ続け、決して成り上がることなどなく、どこまでも貧窮し放蕩し、破滅と背中合わせに地面這いつくばって老いてゆく姿しか思い描けない。
ストーリーは、エピソードが次々にリレーしてゆくエピソードサーフィンの構成。映画全体の大きな起承転結があるわけではない。ひとつのオチの直前で次の話題に移り、さらにオチの直前で次に行く。その登場人物もリレーされてゆく。いい。
カメラもいいが、乾いたジャズ音楽がものがなしくとてもフィットしている。
とても面白かった。見終わったあとで、じわじわと沁みてくる。この苦みがいい。