マーヴィン・ルロイ-「心の旅路」1942

この夏は「ジュラシックワールド」「ミッションインポッシブル」も映画館で見たが、特に何かを思うということもなかった。くさしているわけではない。面白かった。しかし、考えを巡らせ想いを馳せて何かを書こうという気にはさせてくれない。
で、また古い映画「心の旅路」について。
よかった。とても良かった。以前から観たいと思っていたし、見るならオリジナル版だとずっと思っていた。ジャンルとしてはラブストーリーになるようだ。はじめからそう知っていたら敬遠したかもしれない。あまりラブストーリーには関心がない。いや、そんなことはないのだが、心動かされるほどのラブストーリーにとんと出会っていないからだ。家で一人DVD映像で見ていたのだが、不覚にもラストには涙がどっとこみ上げ、狼狽した。
もともと「心の旅路」は記憶喪失の主人公が周囲の善意にいざなわれて失われた記憶を取り戻すヒューマンドラマ、という風に聞いていた。
忘れ去ることはできないのに、どうしてもつぶさには思い出せない、というのは一つの大切なテーマだ。名作「天国から来たチャンピオン」もそうだし、数年前アジアを席巻した新海アニメ「君の名は」だってそうだ。つまり「前世」の記憶という普遍のテーマだ。前世とは象徴であり、深層心理学でいえば無意識領域のこと。だから、それは事態、出来事の必然(宗教的に言えば事態が孕む神意)の次元のことだ。自分自身について、その必然を問えば「生まれてきた理由(わけ)」となるし、そのまま「未知との遭遇」も広く同一のテーマとなる。思い出せそうで、思い出せない。わかりそうで、わからない。しかし、リチャードドレイファスが深夜裸足で外に飛び出して、星空に向かって叫ぶように「知っている。俺は知っている」それが何か分からないが、私は知っている、それだけは確かなのだ。深遠なテーマだ。この深い精神性は霊的と呼ぶのがふさわしい。まさに、霊的なテーマだ。
「心の旅路」のストーリーは書かない。事前に抱いていた想像よりも、はるかに素晴らしかった。どのくらいかというと、「我が人生最良の年」くらい良かった。つまり、誰彼構わず「あれは良かった!見たらいい!」と言って回りたくなるほど。
何がそれほど良かったのだろう。何がそれほど他の映画と一線を画し優れていたのだろう。
印象としては、映画の完成度密度がとても高く、まるで読みごたえのある短編小説のようだ。その密度はそこに込められたエネルギーの結果だ。要は制作に携わる映画人一人一人が最大限に努力と才能をこの作品に込めたということだろう。例えば美術のこだわりなら、決して映されない部屋の時計まできちんとドラマの時間に合わせるという黒澤組の話を思い出す。裏方に俳優陣、演出に監督、その総和が映画の完成度を決定する。しかし、ここはやはり脚本に注目したい。決定的に脚本が優れているのは明らかに思える。
これは当時のベストセラー小説の映画化である。小説と映画というメディアは全く異なる。あげればきりがない。語り手眼差しの問題、時間軸の問題、言葉と映像、さらに能動支配想像と一方的具象受動の問題。だから、原作に縛られると脚色は成功しない。「小説としての良さ」を「映画としての良さ」に変換せねばならず、そこには途方も無い才能が要求される。それに失敗すれば、「わざわざ映画で見なくても、その小説を読めばいい」となってしまう。むしろ小説原作から離れて、映画として新しく生まれ直した作品の方が成功する。脚色は原作に及ばないという言い方もあるが、同等は許されず、原作を超える新たな魅力を獲得しなければ成功はありえないとも言える。難しい。しかし、この映画はそうした原作脚色の桎梏に悶え苦しんだちぐはぐさはない。そのまま映画が小説のようですらある。それはこの時代のハリウッドの脚本家達がほとんど小説家としても等しい力と才能を有していたのではないかと思われるからだ。
この時代の映画に惹かれるのは、映画を「新たな商業芸術文化」として作り上げようとあらゆる才能が結集していた勢いにあふれているせいだ。日本においても戦前戦後当時の監督や脚本家の文章にはそうした気負いや矜持がまばゆい輝きを放っている。若いのだ。まだ映画が若い時代なのだ。これから先どうなって行くのかまだ見えない。その未来をこの手で作り上げて行かんとする情熱が飽和して息苦しいくらいだ。
この時代ハリウッドでも、小説家が書き下ろし小説を依頼されるの同じように、大変な原稿料で映画脚本を上梓している。まさに様々な才能が映画製作に集結していたのだ。
高校生の頃、昔は作家になったであろう若い才能が現代は漫画家を志望している、と言われた。あれから40年以上経って、今その才能はどこへ向かっているのだろう。
作品の密度、作品の重み、それはテーマの暗さ深刻さということではなく、ズシリとくる見応え、作品としての精緻で完璧な構成が誇る完成度。それを「心の旅路」は教える。そういう無駄の一文字も無い脚本を書かねばと思わされた。
恋愛映画ならキリキリと痛い物語しか記憶に残っていない。この映画のように、文字通りハッピーエンドな恋愛映画に同様の感動をした記憶がない。また、このあたりも考察してみたい。