レスリーチャン「さらば、わが愛/覇王別姫」(1993)

圧巻の一言。
ずっと観たいと思っていて、ようやく観ることができた。映画そのものについてはただもう「よかった」と幾分放心気味に答えるだけだ。
その余韻は長く残った。そして無性に中国への憧れがむくむくと込み上げて来た。久しぶりに思い出してしまった。私は中国が大好きである。
中国の何が好きなのだと問われたら、やはりまず「中国語が好き」と答える。理由はない。中国語のあの響きがいいようもなく好きなのだ。流れる調べのような四声のトーン。聴いていてうっとりとする。スペイン語やフランス語の響きもいいが、中国語はもうずっといい。これは極めて個人的な嗜好、紫色が好きだ、とか、朝顔の花がいい、とか言うのと変わらない。賛同も共感もいらない。ただ私が好きなのだ。それだけのことだ。
最初に憧れたのはモンゴルだ。小学生の頃、移動テントで草原に暮らす生活に憧れた。そのあと学生時代に映画「天平の甍」を観て強烈に惹かれた。そして中国の歴史から現代史を調べるのに没頭した。京大病院近くの「中国物産店」に通うのを好んだ。そしてとうとう「北京週報」を購読するまでになった。吉田山の東方書店で長く立ち読みをして過ごすのが好きだった。
そして一度だけ、中国に行った。もう結婚して子供もいた頃だ。その頃、中国語入門講座のカセットテープを子守唄よろしく聴きながら眠っていた。学習のためではない。聞けば落ち着いたからだ。そんなに中国が好きなのなら一度行ってみたら、と言われ矢も盾もたまらず中国に向かった。荷物は小さなデイバッグひとつ、「地球の歩き方」片手に一人だけの旅だ。1987年、天安門の2年前、確か前年に学生デモが広がった責任を問われ胡耀邦が失脚した後の重苦しい時期だ。これが89年に胡耀邦死去を発端に天安門となるのだが。
中国での九日間のことは書ききれない。呼和浩特のドミトリーで共同シャワー浴びながら現地の従業員と一緒に「北国の春」や「与作」を歌ったこと思い出す。私がリーベンレンだと気づき彼の方から歌ってきたのだ。散々な目にもあったが、それは文化の違いだ。結局僕が海外に行ったのはその中国行が最初で最後となってしまった。
なんだか昔の恋人を思い出してしまったように、このところ中国への想いが抑えがたい。もう僕が行った頃の中国とはまるきり違っているがそれでも中国は中国である。
映画「天平の甍」では日本に高僧を招くため中国に渡った青年僧のうち、日本に戻らず山岳を遊行する僧となり中国にとどまる青年があった。その映像を見たときの心震える思いは今でもそのままによみがえる。憧れである。
「さらば我が愛、覇王別姫」魂を揺さぶられてしまった。