「ご本、出しておきますね」

年末、BSで深夜「ご本、出しておきますね」という番組をまとめて放映していた。芸人の若林がMCとなり、さまざまな作家を招く「文筆系トークバラエティ」と銘打たれている。ゲスト作家はほとんどが30代から40代の気鋭文学者たちだ。もちろん群像新人賞だ文藝賞だというメジャーな賞を得た売れっ子小説家たち。僕は小説をほとんど読まないので、ぼんやりと名前を聞いたことがあるくらいでその作品についてはまったく知らない。その番組は語り手たちが作家という人種だからというのでなくても、トーク番組として十分に面白かった。そして、「へえ、今の作家って、こういう人たちなのか!」というちょっとした驚きもあった。
見終わって何日も時間がたったあとで、ひとつわかったことがあった。

巷で話題を集めている小説や文学賞の受賞作など見ると、自分が書いているものと「全く」違う別物であることに驚く。本当に、「同じ」小説とは思えないほど、別物なのだ。
その物語を紹介する際、小説の「設定」が記される。その「設定」の独創性が優れた物語の大きな要素になっているような印象を受ける。それは物語の「つかみ」であり、読者を惹きつける意外性の魅力なのだろう。ここが問題なのだ。僕はそれら物語の設定の意外さにはそもそもあまり惹かれない。僕が書くもの、書きたいものにそんな独創的な設定など、ない。
一昨年派遣労働者として勤務し始めたときのこと。身近に勤務していた人たちが私と話をしていたとき、突然のようにはらはら涙を流したことがあった。その言葉と涙を前に、人が生きるという健気さと愛しさが込み上げ、こういう物語をこそ書きたいと私は思った。しかしだ。考えてみれば、彼女らは何も特別な事情を背負い特異な体験をした例外的な人というわけでもない。誰もが、肉親と死別する。いつか老い病を得る。仕事をして金を得るのは辛い。人間関係の葛藤で辛酸を嫌というほど味わう。そう思えば、世界はもうたまらないほど物語に溢れている。つきなみということなどない。どんな人であっても、高貴で豊かでときに愉快でその実身を切るほど痛々しい、そういう物語が人なのだ。どこにでもある事実の中に、目もくらむ圧倒的な光を描くこと、それを切望する。
だから現実にはほとんどあり得ない「設定」には興味がない。ここなのかもしれない。
或る文芸誌の編集者から、設定がありふれていて面白くない、と評されたことがある。そして、たとえば登場人物が刑務所に入ったのならば、どんな事件を起こしたのか、それを読者はまず知りたいのだから最初の方にそれを書いて欲しい、と。刑務所に入る「罪名」や「事件」が、その人が娑婆で逸脱していた実態とはまるでかけ離れており、それら「罪名」が本人をなにがしかあらわすプロフィールにはほとんど意味を成さないことが多い。それは法制度上の事実に過ぎない。
なるほど読者という人はそういう人たちなのかな、と学んだ。そしてちょっと、そういう人たちは嫌だな、と思った。「こいつ何をしでかして刑務所なんかに入ったんだろう」それが一般的な心情なのだろうか。ちょっとかなん。自分は入ることなんてない、と疑いもせず信じているんだな。つまり、「設定」とはそういうことだ。

ここで、「文筆系トークバラエティ」の感想に戻る。あとで、ふっと気づいた。
「もしかしたら、あの作家たちは心の奥底で、『現実や人間がつまらないから、小説を書いている』のではないか」
私はまったく逆に『現実や人間があまりにすごいから、それを描くために小説を書いている』のだ。作品がまったく別物になるに決まってる。
読者もそうだ。現実や社会に魅力も意味も感じないから、架空の小説世界に意味や感動を求める。微妙なところ。私は現実や社会の圧倒的な魅力や意味を、なんとか小説世界で表そうと苦心する。
文学サークルとか文芸同人誌とかへの違和感もここにある気がする。あの文学界隈独特の雰囲気。観念的過ぎて気持ちが悪い。きしょい。よりも社会や現実にまみれたジャーナリストにずっと親和感を抱いてしまう。
そして、村上春樹。その小説は苦手なのだが、「職業としての小説家」という随筆風のもの、とても面白い。へえ!すごいなあと感心したり、なるほどと共感したり、そして思わずくすりとなる皮肉めいた物言いも愉快。で、「さて、何を書けばいいのか」という章の最後の部分。

「もしあなたが小説を書きたいと志しているなら、あたりを注意深く見回してくださいーーー。というのが今回の僕の話の結論です。世界はつまらなそうに見えて、実に多くの魅力的な、謎めいた原石に満ちています。小説家というのはそれを見出す目を持ち合わせた人々のことです。そしてもうひとつ素晴らしいのは、それらが基本的に無料であるということです。あなたは正しい一対の目さえ具えていれば、それらの貴重な原石をどれでも選び放題、採り放題なのです。
こんな素晴らしい職業って、他にちょっとないと思いませんか?」

河瀬直美の「萌の朱雀」や「殯の森」を見たときの興奮と似ている。意を強くした。