John & Yoko-「Listen,the snow is falling」1969

それは私がたまたま目にして来なかっただけで、すでにたくさん指摘されてきたことなのだろうか。ジョンレノンはヨーコと描くパフォーマンスを、ゲンズブールとバーキンになぞらえていたのかも知れない。ほぼ同時期のようだが、先鋭的な男女二人のパフォーマンスとしては似かよったものを含む。これまで特にゲンズブールとバーキンに強い関心を抱いてきたわけではなかった。このところバーキンに惹かれ、YouTube映像など観ていてふっと思った。ジョンは二人のこうした姿に憧れを抱いていたのかもしれない。
今でこそジョンレノンと言えば偉人扱いされるほどにもてはやされているが、失笑ものだ。ジョンに対してではない。生前のジョンに社会の側があまりに冷淡であったことから、その手のひら返しに苦笑したくなるのだ。「恥ずかしげもなく」そう呟きたくなる。
兄たちが洋楽ポップスを愛好していたから、ビートルズの音楽は小さい頃から馴染んでいた。しかしまだ小学生の時分であるから、なんとなく心地よく耳にしていたに過ぎない。ビートルズの解散は私が中3のときである。全国ニュースで報じられたのを覚えている。それはただの記憶に過ぎない。私にとって何がしか事件と呼べるような強い衝撃だったわけではなかった。しかしそれからだ。翌年、ジョンはソロアルバム「Mother」を発表する。ラジオでその表題曲「Mother」をはじめて聞いたときの衝撃は生々しく記憶に刻印されている。その激烈な心奥からの叫び声にまさしく震憾させられた。それはただ音楽を聴いた体験とは性質が異なる。或る一人の人間が全身全霊かけ人生から発した叫びを生で耳にした衝撃である。感動ではない。その叫びを耳にして抱いたのは怖れであり、垣間見たのは人の世の底知れぬ深淵であった。聴いてはならぬものを聴いてしまった。人に聴かせてはならぬ声をこの人は聴かせている。まさに異様な音楽体験であった。ビートルズとは関わりなく、私はジョンレノンに魅入られた。それは例えば美しい旋律やハーモニーに惹かれるのとは違う。危険で邪悪な何かに惹かれる、言わば怖いもの見たさであった気がする。しかし、今にして思えば、私が惹かれてきた音楽も文学もどこかその怖いもの見たさのような奇怪な誘惑を含んでいた気がする。友部正人しかりPANTAしかりジャニスジョプリンしかり、そしてボブディランでさえ。
それを今は深みとしての美しさと自然に受け止めることができるが、十代の精神には麻薬的なカンフル以外の何ものでもなかった。ジョンの叫びは譜面上の叫びではない。指定され張り上げる大きな声ではない。もっと初源的な衝動から自ずと発せられる心奥からの叫びそのものである。それは時代のせいもあろう。ジムモリソンでもジャニスでもその叫びは同様である。意図や作為以前の咆哮である。もう80年代以降は聞くこともできない。おそらくそれは人生から絞り出されたものであると同時に、薬物による作用もあったのだろう。ジョンは世界的ポップスターであった過去を自ら解体するようにして、時代の先行く前衛芸術家となった。その有り様は徹底したパーソナルの昇華である。禁断症状を歌うコールドターキー後半部の絶叫など患者の悲鳴そのものである。彼は先立って、精神療法の一種として深層に秘めていた感情を解放する体験を重ねており、明らかにそれを音楽のスタイルへと表現した。だから、一方でわずかながらも距離を持ってその強烈な自分の様相を眺めていることができていたのだと思う。そのため「sometime in NYC」に収録されているような破壊的な錯乱の音楽を提示する一方で、あまりにも美しく清冽な神がかったバラッドを惜しげもなく数々生み出すことができたのだろうと思う。
今はそうした美しいメッセージとメロディをジョンの代名詞として紹介されることばかりであるが、一方で爆発させていたアバンギャルドな実験音楽的な志向は明らかに、オノヨーコとの出会いに触発されたものである。前衛芸術家としての破壊と創造をそのまま宿していた当時のヨーコに彼は救済を見出したのだろう。二人が全裸で並び性器を露出させている写真をジャケットにした二人の結婚記念のアルバムの衝撃。それははあらゆる桎梏を粉砕する見えない巨大なトリガーだった。一切がむき出しである。そこまでしなければ払うことのできない漆黒の靄がジョンに肉薄していたのだろう。
有名なピースイベントとしてのベッドインで、二人が言葉遊びを楽しむ映像がある。二人はカメラを無視して少年と少女のように恥じらいはしゃぎ、また偉ぶるように言葉でじゃれ合う。そのずっと後、長い別離の時期を経た後に、ジョンが歌うwomanのための二人のベッドイン映像。60年代後半のきらめくような喧騒の時代から10年を経て、二人が再び全裸で睦み合う姿はまるで遥かな過去の神話であるかのような落ち着きと透明感がある。
ヨーコよりもバーキンが明らかに容貌は秀麗である。誰もがまずそう言うだろう。しかし、ゲンズブールとバーキンの舞台はやはりパリだ。ジョンがヨーコと歩いていた砂浜は北米東海岸でもあり、極東アジア鎌倉の波打ち際であったりした。だから、たとえジョンがもしゲンズブールとバーキンに憧れを抱いていたとしても、遥かに先を遥かに深く、遥かに多くの人の深層意識の森を抱きながらジョンとヨーコは同道していたことがわかる。どだい、そのスケールが違う。そう思う。
偉大な作家である。偉人扱いには同意しないが。ちなみに、どんなに聞き古されたとしても、私がもっとも大切に思う曲は「happy Xmas」であり「listen,the snow is falling」だ。あの魂の歩みをまたしっかりとなぞり、そして味わいたいものだ。