孤独と越境について

 京阪丸太町駅の地下ホームだったと思う。裁判所を退職して一年もたっていなかったから、当時勤めていた弁護士事務所からの帰りだったのではないか。
 電車を待ち、ホームに立っていたときだ。私は胸の奥がきりきりするような寂しさを感じていた。それは「一人」だという寂寥感だ。私は一人になった、というなんとも頼りない寒々しい思い、孤独感に襲われていた。
 それは裁判所を退職したせいだ。それまで私は京都家裁の調査官であり、また全司法京都家裁分会の主要メンバーだった。その組織には私と同様に所属している人々や仲間があり、それらの人々に私は名前も顔も知られていた。外部の人に対しても、その役職をセットに名前を提示してさらしていた。それは特段意識することもない、自明で当然な振る舞いであり、また関りであった。だから退職しその立場を失うと、それら無くしてしまうものだとしっかり理解はできていなかったのだ。
 かつて所属していたコミュニティにおいて、私は「内部」の人であった。そして今や「外部」の人となった。ただそれだけのことなのだが、そのもたらす心境を予測していなかった。たとえば古い所属を離れ、新たに別なコミュニティに属していれば、そうした「内」と「外」の間に鋭く成り立っている決定的な差異、障壁をそこまでリアルに体感することはなかっただろう。所属の対象を変えても、常に「内」にあることで関係性の網目の中である種の満足と安定を得ているからだ。
 これらはたとえば友情など情緒的なつながりとは交じり合いながらも別次元のものだ。そのころ私は一日に出会いすれ違う多くの人々のうち、私の名前と顔を知っているのは家族以外勤務先事務所の二人のみであった。
 自分の選択でありながら、予想していなかった心情の軋みに戸惑いながら、きりきりとその寂寥感に心の痛みを感じホームに立っていた。周りには会社帰りのサラリーマンたち。彼らはみな、それぞれ所属している会社組織を自分で持っている。所属する組織集団に存在を承認されている安心感と誇りを示しているように見える。一方、私はどこにも所属していない。一人である。宙ぶらりんで、水に漂う根無し草のような思いであった。
 と、そのときふっとひらめくように別の思いが心に浮かんだ。どこにも所属していないということは、一切すべてに所属していることと同じではないか。
 それは思いというより、ひとつの理解の仕方と言っていいのだが、まるで薄闇に光がさっと差し込むように突然私の心に浮かび上がったのだ。
 私は切り離されて一人排除されたのではなく、私は今すべてとつながる立場にあるのではないか。
 周りのサラリーマンたちは所属する会社にだけつながっているのであれば、そのコミュニティの内部で人間関係を結び、外のあらゆるコミュニティとはつながることなく生きている。所属するコミュニティが、自分の確かな世界なのだ。だから、それを超えたあらゆるよその世界をまるで無いように消し去って生きている。眼中になく勘定外だ。しかし私はどこにも所属していないから、私の周りに囲いはない。だから所属などかかわりなく、隔たりの融解した次元で、私はすべての人とつながっている。そう思えたのだ。
 するとみるみる私の心の中から寂しさは雲散霧消し、代わりに周囲の見知らぬサラリーマンたちになんとも言えないしみじみとした紐帯、同胞感のような近しさが心に湧いてきたのである。それは私が一方的に感じる親しみだ。相手は私のことなど知らなければ関心もないしそもそも存在すら認めていない。しかしそれは関係がない。相手が私を知っていようがいまいが、私を承認しようと拒否しようとどうでもよい。これは私が実感する私の思いだ。所属など属性を共通することによって結ばれる関係は、つまり立場など変動によって失われる可能性のある関係性にすぎない。明瞭で手ごたえあるのだが、実はそもそもあやうい、かりそめのものでしかない。それとはまったく別の次元でのつながり。
 このように言語化して論理立てて思考したわけではないが、私はそのとき一瞬でそのように理解し、心が解放されたのである。
 そして一度そのまなざしが開かれると、それ以前のような孤独感を感じることはまったくなくなった。ひとたびものこと知ったならば、まだ知らずにいた自分には二度と戻ることができないように、そうした一切につながる感覚は以後現在に至るまで失われていない。
 すっかり内の人として、外の世界を無視し理解不能と排撃し侵入交通を断固拒絶する発想にはどうしてもなれない。或る立場に立っていても、別な立場から見ればとどうしても思ってしまうからだ。

 今こうして綴っていると、思い出されることがいくつかある。
 ひとつには30代で読んだ吉本隆明の評論だ。たしかタイトルは「党派の理論」だったと思う。そこにはこんな一節があった。出身であるナザレの人々にとってイエスは「新興宗教を興した、大工ヨセフのせがれ」にすぎなかった、というのである。衝撃を受けた。彼の言葉、生き様、その振る舞い気配から神なるものをダイレクトに受け取った人々にとって、彼はまさに救世主であり預言者であった。しかし、それはイエスを信じる人々にとってだ。私はクリスチャンではないが、存在として超越的に巨大で深遠だということは否定しようがないと感じていた。しかし、人によっては「ただの大工のせがれ」としか見られないのだ。吉本は信者の信仰を揶揄するためにそのことを書いたのではない。吉本自身、もし一冊だけ無人島に持参できる書物を選ぶなら、それは聖書だと述べている。つまり、その立場から評価や認識は信じられないほどの差異、乖離が生じるということだ。それが「党派的」な有り様だというのである。
 閉じられたコミュニティでは疑う余地のない自明の前提としての「事実」であっても、それはその「党派」内の共有事項に過ぎない。人が当然に確固たる事実としていることであっても、それはただ無自覚に自分の党派的認識、思考に呑み込まれているに過ぎないかもしれないということだ。だから、自分の「党派」外の認識や態度を到底「理解できない」異常なものとして拒絶し否定し去るのである。それはつまり逃れようのない「相対性」の宿命を宣告しているのであって、決して超越的な絶対性を観念的に妄想せよということでもないし、また冷笑的虚無の退廃にいざなっているものでもない。むしろ相対性を自覚した上で、相対にすぎない党派的位置を生きよと、私はそう吉本の言葉を読んだ。

 また具体的な体験も思い出す。学生時代のことだ。いわゆる大学紛争の昂揚期から十年以上が経っており、それははるか過去のことではあったが、まだまだ当時はその残り火がわずかにくすぶっていた。それは大学が公然と日本共産党の強い影響下にあったことが理由でもあった。
 私が三回生の春、学部の学生大会で多数の共産党系学生とそれに反対する学生が衝突する騒ぎがあった。私が専攻していたゼミはそうした反日共系学生(共産党系民青に言わせれば「ニセ左翼暴力集団」というネーミングになるのだが)がほとんどを占めていた。私は政治セクトに属していない友人と計って、各教室をまわり「学生大会を考える」公開討論会の開催と参加を呼びかけた。多数の学生が会場の教室に集まり、私は友人と二人で討論会を司会進行した。教条的な結論ありきの政治的イベントになることを恐れていたが、いわゆる一般学生が多数参加したこともあって活発に様々意見が飛び交い議論は白熱した。私は真剣に率直な意見を表明し合うその光景に興奮し、大学自治の新しい扉が開かれるような高揚感を覚えていた。そして友人にその場の進行を託して中座すると階段を降り、コーヒーの自動販売機に向かって建物を出た。すると、キャンパスでは夕闇の中、灯りの下で男女の学生たちがさかんに歓声を上げ、いかにも楽しそうにフリスビーを投げて遊んでいたのだ。驚いた。さっきまでいた討論会の教室と、まったくの別世界なのだ。華やかで屈託なくまさに青春を謳歌している。ふざけ合い、笑い声をあげ、なんと楽し気なこと。これはいったいどういうことだ。もうもうたる煙草の煙の中で喧々諤々ときに激烈な言葉が飛び交う一種殺伐たる緊張感はらむ教室の空間と、平和で自由な学生生活を存分に楽しんで、日が沈んでも遊び続けている学生たちのにぎやかなキャンパス。決して相容れない二つの世界が、ほんのわずかを隔てるだけでまったく同時にそこに併存していること。教室の中で興奮していた私は一気に冷めた。厳然たる事実に冷や水を浴びせられたのだ。世界はいくつもの別世界が交錯している。私が教室を出なければ隣に広がるその光景を見ることもなかっただろう。それでもそこには厳然と別世界が展開されていたのだ。私が体験しているのは切り取った小世界に過ぎなかった。校舎を見上げれば、星空を背景にその教室が煌々と明るい光を放っていた。

 だから私はずっと、内と外を隔てる有り様に対して敏感であったように思う。そして具体的に越境という態度に惹きつけられていたのではないか。内にあって仲間、味方を愛することは、外のよそ者、敵を憎み攻撃することとパラレルだ。京阪ホームでの鮮烈な転換以来、無邪気に仲間をただ愛することができなくなったとも言える。その感覚からすれば、私は愛する仲間を持つことができなくなったのかもしれない。敵を憎むことができないし、仲間を愛することもできないならば、それは裏切り者に過ぎないと弾され、あるいは人間的情緒を失ったと哀れみを受けるかもしれない。
 これはひとつの「あれかこれか」だ。その分岐の差異は時代の中でいよいよ決定的になってゆくばかりにも思える。国家も一つの党派である。憎しみを背後に隠す愛着ならいらない。越境するあえて呼ぶなら孤独なつながりでいい。
 今もそう思うのである。