身体がもたね

今月始め、次は或るテーマで小説を書こうと思い立ち、図書館に通っては書庫からテーマに関連する本を出してもらい、また新たに分かった関係書を書庫から出してもらっては家に帰る。そして手元に置く本とすぐに返す本を選別しては、そのうちあれこれ読了し、また図書館に返しに行ってはまた資料となる本を調べては書庫から引っ張り出してもらう。それを繰り返している。
重いテーマなので、進まない。まだプロットの細部を詰めている段階だ。きつい場面をリアルに想起するだけで気分が悪くなり実際に嘔吐感に襲われる。難儀だ。身体がもたない。つい考えたくなくなっているのに気づいては、またなんとか向かう。
予定ではとっくに書き出さねばならないのだが、こんな体たらく。
ようやく全体を支えるある考え方(セリフ)にたどり着いたので書けそうな気はするが。
こう書くと、なんか巨匠作家ぶっていてみっともないが、正直そうなのだから仕方ない。
前にも、自殺場面を書くとき実際に吐き気に襲われて本当にしんどかった。思い出すだけで気分が悪くなる。他の作家はどうしているのだろう。
先日、映画監督の方々とお会いする機会があった。僕の原作劇の映像動画を編集しているときに、観劇時と同じように泣けて困った、とその方がおっしゃった。僕は「僕も泣きながら書いてますから大丈夫です」と答えた。何が大丈夫なのかわからないが。そういえば、前に先輩作家の方から書きながら登場人物に感情移入しますか?と問われ、感情移入どころか、人物が泣く場面ではこっちも書きながら泣いているし、あとでその場面の人物のこと思うだけで泣けてきますと答えたら、満面の笑みで肩叩かれたことがあった。
人はどんな風に書くのか、知らない。自分の書き方も誰かに教わったものでもないし、モデルがあるわけでない。こんな書き方は普通じゃないのだろうか。自分では分からない。こんな書き方でしか書けない。
どうにかこの真っ暗な洞窟を、わびしいともし火を手にもうすこし分け入って、確かなものを見出したい。それはきっと僕がこのテーマを選んだ意味合い、何か僕が見つめ気づき描かねばならないものをまだ掴み切っていないからだ。もうすぐだと思うのだが、またウィズダムに向かいたい。