國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院)
國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院) 斎藤環書評 <リンク>
我ならざる我、私を支配している自動回路が暴かれて、私たちの世代が時代の空気価値観としてそのままに吸収してきた近代的自我や主体性理論がすでに効力を失って久しい。その「自己疎外」の所以が社会との関係性にあったとしても、たとえば階級的でもいい、さまざまな「抗い」「闘争」によって解決しえない質のものであるであるなら、「私の核」はどこにあるのか。そのねこぎ感、頼りなさはつまるところ「意志」の無効化に由来するように思われる。私たちが「強いられた意志」に支配されていることを深く自覚した場所から、まことなる意志を超越的な実感に求めてもそれは正当な道筋と言ってよいと思われるのだが。