言い訳にはならないぜ
「歳をとることは人生を語らないことの言い訳にはならないぜ」 たしかにさらに若い方と比すればたとえ20代であっても自分は年寄りだと思うのかもしれない。しかし正真正銘の年寄りがこの言葉を前に奇妙な当惑を覚えるのは何故だろう。 人生を語る老人ほど...
「歳をとることは人生を語らないことの言い訳にはならないぜ」 たしかにさらに若い方と比すればたとえ20代であっても自分は年寄りだと思うのかもしれない。しかし正真正銘の年寄りがこの言葉を前に奇妙な当惑を覚えるのは何故だろう。 人生を語る老人ほど...
すっかりブログを書かなくなった。このブログ最後に記事を書き込んでからもう10か月がたっている。以前は勝手気まま、頻繁に書き込んでいたのにだ。理由ははっきりしている。このブログを読むであろう人たちがあらわれたからだ。 以前はおそらく誰の目にも...
ずっと気になっていることがある。発端は江藤淳の「成熟と喪失 ”母”の崩壊」だ。その副題が示す通り、当時第三の新人と呼ばれた安岡章太郎や小島信夫らの作品を読み解き、「母」が崩壊し喪失することによって果たされる戦後社会...
全国同人雑誌協会の第一回全国同人誌優秀賞を私が主宰する「文芸エム」が受賞したと連絡があった。さらに新人賞の候補となり8月に選考会が行われるのだという。喜んでいた矢先、「文藝年鑑2021版」の冒頭同人雑誌の項に「文芸エム」とその主宰者として...
京阪丸太町駅の地下ホームだったと思う。裁判所を退職して一年もたっていなかったから、当時勤めていた弁護士事務所からの帰りだったのではないか。 電車を待ち、ホームに立っていたときだ。私は胸の奥がきりきりするような寂しさを感じていた。それは「...
3号雑誌という言葉がある。 それはたった3号を発刊しただけで廃刊に終わる短命の雑誌を揶揄する表現でもあるし、またそれほどに雑誌の継続発刊は困難だという事情を強調するときにも用いる言葉だ。もともとは終戦直後のカストリ雑誌が3号目にGHQの...
恥ってなんだろう。 先週、自転車で琵琶湖を一周した。朝6時に家を出て、湖岸をぐるり200キロだ。帰宅したのは夜8時過ぎ。途中前夜にこしらえた弁当を食べながら一時間休んだから、13時間走り続けたことになる。もちろん所々で喉を潤したり、コン...
そのころ私は弁護士事務所の事務員だった。今も界隈の雰囲気はさほど変わっていないのではないか。裁判所の近隣はいたるところ弁護士事務所の看板だらけであった。「京都市中京区丸太町麩屋町通り下ル」これが事務所のあたりの住所だ。私は9年間在籍した家...
ある中学生の少女がおびえた様子でお母さんの布団にもぐりこんだ。「変な男が女の子を殺す話を読んだ。怖い」と言うのだ。その小説は「納屋を焼く」。村上春樹の有名な短編だ。 加藤典洋「創作は進歩するのか」というブックレットにそのエピソードが語ら...
2月7日、「文芸エム」編集部主催による第5回文学ワークショップをzoomオンラインで開催。 参加者はファシリテーター含め7名で、内3名がオンライン初参加。近畿を中心に北陸から四国まで。距離を超えるのがオンラインの醍醐味ですね。 第1部ワーク...
この夏創刊した「文芸エム」は同人誌ではなく、投稿文芸誌とした。それは同人グループという閉じたサークルにはしたくなかったからだ。そうした内向きのグループにはおのずと権威や多数意見が形成され、下手すると序列までがごく当たり前のように生まれてし...
2 部構成の特別企画。第1部では劇団メンソウルによる劇「航路」(原作原浩一郎 脚本演出杉本凌士)映像を上映。感動冷めやらぬまま第2部は「文学ミーティング」と題したフリートーク。文学との出会いをめぐっては野球部、建築から留年の話まで。さらに三...
文芸エム編集部主催第二回文学ワークショップが10 月8 日、大津市市民活動センターにて開催されました。わかりやすく体験的に「書く力」を学ぶことを目的とする企画です。事前申し込みの4 名のほか、フェイスブックのイベント広告やチラシ、掲示板ポス...
三田誠広「野辺送りの唄」を読んだ。 ずっと読みたいと思っていた。実はストーリーも物語のトーンもすっかり忘れ果ててしまっているが、40年前の発刊直後に私はすでに一度読んでいる。そのとき私は衝撃的な深い感銘を受けている。すっかりファンとなり...
10/3明日都浜大津市民活動センターにて第一回文学ワークショップを開催しました。新聞記事やネットのイベント案内をご覧になった方などご参加くださり、なごやかな雰囲気で密度の濃い時間を体験することができました。モデルとする形式がないオリジナルの...
「亜細亜二千年紀 第一部亜熱帯へ」を読んだ。 五十嵐勉氏による大長編小説の冒頭部分だ。その構想については折々氏が語られていたが、直接その執筆について話を聞いたのは昨秋である。時代と地域民族を超えてつながる争乱の大叙事詩。私はそう理解した。も...
ゴーゴリ「外套」を読んだ。これまでゴーゴリを読んだことはなかった。ゴーゴリだけではない。実はプーシキンもチェーホフも読んでいない。ロシア作家ならほぼドストエフスキーとトルストイしか読んでいないと言った方がいいかもしれない。ロシアに限らない...
3月前橋、5月東京、6月盛岡と軒並み中止となり、1月京都以来久々の開催。しかし、加えて大型台風が九州に接近というタイミングで続々出店キャンセル。出展ブースは半分以下、4割といったところ。来場者は例年の盛況ぶりが嘘のよう。 しかしおかげで多く...
甲南高校文学部、そう口にすると関西では大概勘違いされ、戸惑いを与える。関西には「ええとこの子」が集まる「金持ち大学」甲南大学があるからだ。甲南高校と言えばその高等部だ。しかし文学部であれば、甲南大学だろうと話は混乱する。おまけに私がもとより...
読み終えた。 はじめに岩波文庫「白痴」上巻を開いたのは、いよいよコロナ禍非常事態が宣言され、学校やほとんどの店舗、会社がシャッターを下ろし、まもなく町中からティッシュやマスクが消える頃だ。ひと頃はほぼ毎日、私は「白痴」を読みながら川沿い...
書くとは、言葉に託し内なる形なきものを外に表す営みだ。つまり、まずそれは自分の内に潜むものを自分自身の眼前に突きつけることになる。書くことが、自分自身との思いがけない邂逅をもたらすことを作家や詩人は否応なく自覚している。 その邂逅は至上...
人生の岐路で胎にずんと来る小説と出会った人は多い。たとえば、それまでならば当てにし頼りにしていた人の言葉が、どうしてなのかまったく心に届いてこない。気がついたらどこにも明かりや支えが見当たらない。そんなとき、何気なく手にした文庫を開き、綴...
今年の開催中止を受け、来年3月21日に次回前橋文学フリマが開催されるとメールが届いた。しかし残念ながら、来春にコロナ禍が収束している保証などない。むしろその後は「復旧」でなく「創出」を迫られる不可逆的な歴史的変容を私たちは今体験している。...
吉行淳之介の選による「純愛小説名作選」と銘打たれたオムニバス短編集である。発行は1979年。13編のうち10編を読んだが、とても面白かった。巻末に吉行と長部日出雄による「純愛とは何か」と題する対談が掲載されてあるのだが、出だしから「純愛の...
やはりと言うべきか、前橋文学フリマ中止の連絡が昨夜届いた。開催の約十日前の決定である。すでに納めている出店料は費用を差し引き、その半額を返金すると記されていた。今の若い文学ファンはおしなべて大人しいので、落胆しても黙って事態を受け入れてゆ...
金子光晴の自叙伝「詩人」に少しだけ萩原恭次郎の名が出てくる。金子が「こがね蟲」によって新鋭の耽美派叙情詩人として登場した大正末期の頃のことだ。ちょうど同じ年にアナキズム系詩誌「赤と黒」が萩原恭次郎らによって創刊されている。その創刊号の表紙に...